吉本せいは関西まで訪ねてきた笠置シヅ子に頭を下げた

「エイスケがえろう、お世話になりまして……」と丁寧に頭を下げたせいの印象について、「さすが女手に亡夫の偉業を継いで興行界の惑星とまでなられたお方だけあって、度量もあり、情けもあり、行き届いたお人柄でした」と笠置は評している。しかもこのとき、自ら赤ん坊を沐浴させ、急いで縫ったという新しい着物も着せ、赤ちゃん用のシッカロールまで用意してあったこと、「エイスケがこの世に残して行ったいちばん大きな置き土産だすよって、大事にしてやっとくなはれ」とせいに言われたというエピソードが感傷的なトーンでつづられている。

加えて、このとき、娘を預かるという申し出もあったが、認知すべき父が死亡していると入籍は難しく、民事裁判で訴訟するしかない事情と、新聞記事になることを嫌った笠置が自ら戸籍問題を断念したことを記し、あくまで自分の選択としてこうまとめているのだ。

「ヱイ子(編集部註:笠置の娘、亀井ヱイ子氏)をめぐるあらゆる人が誠意と愛情とを以って善処に努力したにかかわらず、このような結果になったのですから地下のエイスケさんも無心のヱイ子も許してくれるでしょう」
(笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』1948年、北斗出版社)
映画『銀座カンカン娘』の笠置シヅ子/左
映画『銀座カンカン娘』の笠置シヅ子/左(写真=新東宝/PD-Japan-film/Wikimedia Commons

吉本せいは「凄まじい嫉妬心」を持った女傑だったか

二人の初対面にしておそらく唯一の対面を笠置の自伝で読むと、美しい印象もあるが、矢野誠一の書いた『新版 女興行師 吉本せい』を読むと、印象が異なる。

なにしろ「最愛」の息子・穎右について登場するのは、伝記の中で終盤のわずか数ページのみ。落語との決別について記された項の「もはや、落語に限らず、寄席演藝にたずさわる藝(芸)人は、吉本の手を離れたら大阪では一日たりとも商売のできない体制ができあがっていたのだ」という一文に象徴されるように、全編に渡って吉本せいの凄まじい嫉妬心と執着の強さが描かれている。それは実の兄弟への嫉妬心も同様で、最愛の息子・穎右への思いもまた、母の無償の愛などとはかけ離れたものに思えるものだった。

伝記では穎右と笠置の恋愛を猛反対していた理由について、「吉本せいが、頴右と笠置シヅ子の仲を認めようとしなかったのは、踊り子ふぜいと最愛の息子をそわせるわけにはいかないとする思いあがりからだったという人がいる」「穎右が病弱であったこと、一代でなした巨大な財産をとられるのがいやだったこと」などを挙げつつも、こう推測されている。