※本稿は、堀内勉『人生を変える読書 人類三千年の叡智を力に変える』(Gakken)の一部を再編集したものです。
日本のビジネスパーソンは圧倒的に勉強不足
人生の時間には限りがあります。
私はこれまでの人生を振り返って、仕事というか、仕事という名の「作業」に無駄な時間を使い過ぎてしまったと大いに反省していますが、そうした中でも、できるだけ時間を工面して読書を続けてきました。
そうした私から見て、日本のビジネスパーソンは、いわゆるエリートといわれるレベルにおいては、世界的に見ても圧倒的に勉強が不足していると感じます。
ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、資本主義的な精神の背景にはプロテスタント的な禁欲の思想があると指摘しました。
さらに、社会人類学者のデヴィッド・グレーバーは、世界的ベストセラーになった『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)の中で、どれだけ無意味な仕事だとしても、規律を守って長時間働くこと自体に意味があるという現代の労働倫理観は、やはりこのプロテスタントの精神に由来するのだと指摘しています。
封建時代には労働は蔑みの対象でしかありませんでしたが、社会契約説を唱えたジョン・ロックのような思想家たちによって、労働の苦しみはそれ自体が善であり、気高いものであるというように、発想の転換がもたらされたというのです。
そして、グレーバーは、このメンタルの縛りを、現代人の「潜在意識の奥底に組み込まれた暴力」だと言っています。
なによりも仕事を優先する日本人の労働観
なぜいまここでこの話を持ち出したかというと、私は日本のビジネスパーソンは働きすぎだと思うからです。もう少し正確に言うと、自分が何のために働いているのかよくわからないまま、ただ心の奥底の不安を打ち消すために働いている人が多いような気がするのです。
私自身がかつてそうだったのでよくわかるのですが、日本では江戸時代にまで遡れば、儒教、とくに朱子学の影響で、仕事とは尊いものであるという労働倫理観が培われてきました。これが、戦前・戦後へと脈々と受け継がれ、なによりもまず仕事を優先する、仕事のためにはほかのすべてのことを犠牲にするのも厭わないという、日本人の労働観を形づくってきました。
日本各地の小学校などに置かれている、薪を背負いながら本を読んで歩く二宮金次郎(尊徳)の像がその象徴です。金次郎の伝記『報徳記』(岩波文庫)では、「大学の書を懐にして、途中歩みながら是を誦し、少も怠らず」とあり、これが自ら国家に献身する国民の育成を目的とした明治政府の政策に利用されたのです。