慰問で淡谷が歌う最中も特攻隊員は出撃していった
「(まだ15~16歳ぐらいの兵隊たちを目の前にして)だから私、係の人に聞いたんです。そしたら『はい、特攻隊員で平均年齢16歳です。命令がくれば飛びますよ』って。『もし歌っている最中に命令が下されたら、行かなければなりませんから、ごめんなさいね。悪く思わないで下さい』って。命令がこなけりゃ良いなあと思いながら歌っていたら……やっぱりきたの、命令が。サッと立ち上がって、私の方を向いてみんなニコニコ笑いながら、こうやって(敬礼をして)行くんです。もう、泣けて泣けて、声が出なくなりましたよ、悲しくて」
ある意味、笑顔で黙って敬礼して去っていく「現実」のほうが、ドラマよりはるかに残酷だろう。
ドラマでは、りつ子に続いてステージに立ったスズ子が、これまでの鬱憤を晴らすかのようにステージ中を駆け回りながら「ラッパと娘」を歌い、踊り、観客は大盛り上がり。そして、客席には、上海から命からがら戻って来た羽鳥の姿があった。りつ子とスズ子は公演後、羽鳥との再会を喜ぶ。
終戦で歌手活動は再開するが、恋人との別れが待っていた
一方、愛助はスズ子の公演に刺激を受け、勉強に精を出し、スズ子には公演依頼が殺到。休みなく歌う日々が続いていた。しかし、楽団員たちの大変さを知ったスズ子は、楽団の解散を決意する。
史実では敗戦後、笠置と服部良一のコンビは、東京・日本劇場と東宝系の劇場を拠点に活躍。東宝舞踊隊改め東宝舞踊団(TDA)による日劇での戦後初公演となる「ハイライト」に特別出演する。さらに、復員した服部の戦後最初の仕事は、エノケン劇団の終戦翌年(1946年)正月公演「踊る竜宮城」だったという。自伝ではそう書かれているが、『東宝50年映画・演劇・テレビ作品』リストには服部の名前がないことから、「一部の景(編集部註:場面のこと)の音楽を担当しただけだったのかもしれない」と、『昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』(輪島祐介著、NHK出版新書)では記されている。
一方、私生活においては、この後、エイスケが早稲田大学を中退。吉本興業で働くようになって、せっかく良くなった体調が悪化し、母親の吉本せいが待つ関西に帰っていってしまう。同時に、笠置の妊娠が発覚する。
終戦後に手に入れた自由。しかし、ドラマの第1話冒頭で描かれたように、未婚の母、シングルマザーとして生きた笠置にとって、本当の戦いはここから始まったのかもしれない。
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など