経済力のある大坂城の周囲を徳川一門で掌握した
この結果、大坂城の南には和歌山の徳川氏と岸和田の松平氏、北東には高槻の松平氏、西には尼崎の戸田氏があり、大坂城を核として親藩・一門・譜代による軍事配置が完成し、畿内だけでなく西国における幕府最大の軍事拠点が形成される(図表1)。また、この大坂の直轄化は、大坂のもつ経済力を幕府が直接掌握し、それをもって西国諸大名を統制下に置こうとした点も見落とすことはできない。
9月、大坂城を訪れた秀忠は、大坂城大改造の普請役を西国大名に課し、城の堀の深さと石垣の高さとを旧の2倍とするよう指示する。イギリス平戸商館長リチャード・コックスが本国へ送った書翰のなかで秀吉の大坂城より3倍も大きく再建されることになったと報じたように、この大拡張は、豊臣氏より遥かに強大な徳川氏の力をみせることを意図したものであったろう。
日本史研究者。1947年、福井県生まれ。1975年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。京都大学名誉教授。石川県立歴史博物館長。主な編著書に『江戸幕府老中制形成過程の研究』(校倉書房、1990年)、『幕藩領主の権力構造』(岩波書店、2002年)、『徳川将軍家領地宛行制の研究』(思文閣出版、2008年)、『近世初期政治史研究』(岩波書店、2022年)がある。