「やりたいのにできない」人間の心理

こういう話は、少しも珍しくない。ジャマールは職場がイヤで、ほかの選択肢もあるし、心から辞めたがっているように見える。では、なぜ辞めないのだろう?

彼には、楽しくない考えや会話を避ける癖があるのだろうか? それとも、自尊心が低いせいで「今以上の仕事なんか見つからない」と思っているのだろうか? あるいは、仕事でさんざん苦しめられて、「自分で何とかできる」とはもう思えなくなってしまったのだろうか?

人間の行動の理由は常に無数に考えられるけど、ジャマールの場合は――なんと、なんと――別のヒューリスティックスが原因だった。

あなたは、大切にしてくれない恋人とつき合っていたことはない? 別れるべきだとわかっているのに別れられないのは、10年も一緒にいて――そう、長い――ひょっとしたら、今後はマシになるかもしれない、と思うから。あるいは、ひどい映画を観て、途中で退席すればいいのに、「時間の無駄じゃないか」と嘆きながらも最後まで観たことはないだろうか?

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ここ一番というときに逃げ腰になってしまう

どちらかの話にうなずいたなら、あなたにも若干、ジャマールのような経験があって、今から話す最後のヒューリスティックスにもなじみがあるはずだ。

一つ目は「埋没費用効果」だ。これは、すでに時間とお金を投資したから、ほかに論理的な理由が見当たらなくても、それを続けるべきだと信じる傾向のこと。時間やお金を投資すればするほど、最後までやり通す可能性は高くなる。たとえ「やめろ!」という警告が山ほど出ていても。二つ目は、「現状維持バイアス」。これは、人間がどんなときも、すべてを同じ状態に保つ傾向のことだ。

ジャマールは、ここ一番というときに、自分がいきなり逃げ腰になることに気がついた。

人生の大きな変化の直前におじけづくのは、当然のことだ。人類は、不確かなことを避けることで、種として生き延びてきたのだから。とはいえ、あなたもジャマールも私も、もうそんな時代を生きているわけではないから、不確かさを受け入れることを学ぶ必要がある。