問われているのは大人の社会のあり方
問われているのは、この現実をわたしたちがどのように認識し、何を問題ととらえるか、ということではないでしょうか。生まれや育ちによって教育機会が不平等である現状を「そんなのあたりまえ」と受け入れたうえで「いかに自分や自分の子どもが有利に生きられるか」と目先の生存戦略に焦点を合わせるのか。それとも、少しでも不平等が少ない開かれた社会を目指すのか。
後者を望みたいですが、現実はそうなっていません。2018年の朝日新聞社とベネッセ教育総合研究所の共同調査では、子どもが公立小中学校に通う保護者のうち、教育における経済格差を容認している人(経済的ゆとりがある家庭の子ほど、よりよい教育を受けられるのは「当然」「やむをえない」と答えた人)は6割以上にのぼります。この割合は増加傾向で、しかもゆとりがないよりある親で「容認」派が多いのです。つまり、経済的に豊かな人びとのほうが、教育格差を「当然」「やむをえない」と見なしています。
不平等を前提として受け入れる人が多ければ、それを是正するための社会政策は合意を得られにくくなります。くり返しますが、問われているのは大人の社会のあり方なのです。
1978年生まれ。関西学院大学教授。専門は社会学、不登校の〈その後〉研究。アデレード大学アジア研究学部博士課程修了(PhD)。著書に『「生きづらさ」を聴く 不登校・ひきこもりと当事者研究のエスノグラフィ』(日本評論社)、『「コミュ障」の社会学』(青土社)などがある。