秀忠に対面を許さない家康に意見して、秀忠に感謝された

鬼気迫る表情で康政は、家康の落ち度や誤解を言いつらねていった。懲罰を覚悟したうえでの言動だったろう。さらに、

「親子の間ですから、日常のことなら御譴責けんせきもあるでしょうが、秀忠様はゆくゆくは天下を治める方。そんな方が、弓矢の道において父君の、心にかなわない者であると世に示せば、人々のあなどりを受けるでしょう。これは御子みこの恥辱のみならず、父の御身の恥辱ではありませぬか」。

河合敦『日本史の裏側』(扶桑社新書)
河合敦『日本史の裏側』(扶桑社新書)

そう言いながら、ついに泣き出し、それでも秀忠のために弁明し続けた。そんな老臣の姿を見て、さすがの家康も気持ちがほぐれ、その翌日、秀忠に対面を許したと伝えられる。

この事実を知った秀忠は、「此度こたびの心ざし、我が家の有らんかぎりは、子々孫々にいたるまで、忘るる事あるまじ」(『藩翰譜』)という自筆の感状を康政に与えたという。

やがて家康が幕府を開き、平和な時代が訪れると、「老臣、権を争うは亡国の兆しなり」と言って、康政は宿老の身ながら政治に口をはさまなかった。そして慶長11年(1606)、にわかに病を得て、59歳でその生涯を閉じたのである。

河合 敦(かわい・あつし)
歴史作家

1965年生まれ。東京都出身。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。著書に、『逆転した日本史』『禁断の江戸史』『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』(扶桑社新書)、『渋沢栄一と岩崎弥太郎』(幻冬舎新書)、『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』(祥伝社)、『最強の教訓! 日本史』(PHP文庫)、『最新の日本史』(青春新書)、『窮鼠の一矢』(新泉社)など多数