加害の可能性など重要な局面でこれまでの関係が問われる
たとえば子どもが、少年少女が登場する性的な描写のある漫画などを読んでいた場合。それだけをもって、その子が小児性愛を有していることを意味するわけではなく、そこに性的な関心すら持って見ていないことの可能性が高いでしょう。ただ、その内容については、子どもの理解力にもよりますが、誤って理解される可能性もあります。
漫画などメディアで描写されていることこそが正しい性的コミュニケーションなのだと認識される可能性もあるわけです。ですから保護者としては、これは現実とは違うファンタジーであることを話し合っていくことが期待されるところです。
これは性的なことに限らないのですが、例えば、子どもが小さい頃は彼らの好きなことややっていることには関心を向けず放っておいて、ある程度の年齢になってから小児性愛的なものを集めていることが分かったときに「こんなものは捨てなさい」などととがめても、子どもたちがそのまま言うことを聞いたり、保護者の心配していることを理解したりすることはないでしょう。
そうでなく、子どもが小さい頃から、いかに家族として性のことも含めセンシティブなことを話し合える関係を築いてこられたか、子どものプライバシーを守りながら、どの程度オープンで健全な家族のコミュニケーションを重ねてきたのかは、保護者が子どもの加害行為の可能性を感じた時など、重大な事態に直面した時にきちんと話し合えるのか、保護者が子どもの支えとなれるのかを決定していくことでしょう。
被害者も加害者もサポートが必要
そう考えると、被害者はもちろん、問題意識を抱えた加害者やその家族も苦しみを打ち明けられる窓口が必要です。ここ数年、被害者に関しては、性犯罪の法改正や、性犯罪・性暴力相談窓口であるワンストップ支援センターの開設など、急速に整備が進んでいます。また、ジャニーズ事務所の問題を受けて、男性向けの性被害ホットラインも開設されています。
ですから今後は困り感を抱えた加害者に対する支援側の窓口を整備し、それをどう本人とつなげるかといったことが課題になってくるでしょうね。
最後に私がお伝えしたいのは、性嗜好や小児性愛について、また、性犯罪も単純な因果関係では理解できないのだと、正しく理解してほしいということです。