茶々の妊娠は喜ばしいが次はねねに育てさせないと書いた秀吉
最近は、少し風邪気味でしたので手紙を書きませんでした。これが風邪から回復してから初の手紙です。また、二の丸殿が妊娠したと聞きました。喜ばしいことです。自分は子供が欲しくなかったので、ご了承ください。太閣の子には鶴松がいましたが、死んでしまいましたので、二の丸殿の子とだけしておけばよいのではないでしょうか。
(原典は『豊大閤真蹟集』#36)
追伸では、最近、手紙を送っていなかった理由を説明して許してもらいたいという雰囲気です。咳風邪で、その間は筆をとらなかったと。第2点は、二の丸、つまり、茶々が妊娠したことを聞き、めでたいと思うという内容なのですが、原文では「われわれは、子ほしく候はず候まゝ、その心得候べく候」という部分があり、自分は子供が欲しくなかったのだから、その点、了承してほしいというのです(ここにある古語の「われわれ」とは、我々ではなく、秀吉自身のことを指しています)。また、鶴松が他界したことを持ち出し、第1子の若君を亡くした悲しみを引きずっている様子も見せています。
中国の明朝より謝罪があったので、朝鮮も一緒に許し、10月頃には必ず帰ると伝えています。しかし、この「詫び事」があったというのは、秀吉の誤解でした。朝鮮で大名たちが苦戦している中、秀吉には本当の戦況が伝えられていなかったのです。しかし、ねねには明朝より謝罪があったと報告されたので、明にも朝鮮にも勝ったように伝えられたのです。
秀吉の「ゆるゆる抱き合って話をしよう」と甘い言葉
1593(文禄2)年8月3日。九州の名護屋で戦況を眺めている秀吉から朝鮮出兵の状況が記された手紙がねねに届きました。
追伸 9月25日か26日には大坂へ参ります。どうぞお待ちください。ゆるゆる抱き合って、お話をしましょう。
(原典は『豊大閤真蹟集』#38)