ヤギのオスがメスにまたがった瞬間、交尾は終わっていた
獣医大学の学生時代、繁殖学の実習でヤギの交尾を観察したことがある。それがいかに一瞬のうちの出来事か、卒業して数十年が経った今でも、級友たちと思い出して話すことがあるくらい印象に残っている。
何度もいうが、本当に一瞬で終わる。事前に、担当の先生から「あっという間だから見逃すなよ」といわれ、目を見開いて観察していたところ、オスがメスにまたがったと思った瞬間、もう終わっていた。
交尾時間は、約1秒。なんともせっかちな交尾だなあという感想とともに、「これで本当に受精するのかな」と心配になるが、だからこそ、一瞬の交尾でも確実に受精するように、草食動物は弾性線維型の陰茎と一突き型交尾を身につけたのである。
ただし、その一瞬に陰茎がちゃんと膣に入らないことも、ある。男性の方なら想像しただけで悶絶しそうになるかもしれない。ヤギをはじめとする草食動物も、ちゃんと挿入できないと陰茎が曲がってしまったり、痛みのあまりオスが悲鳴をあげたりすることもある。
ヤギと同じルーツを持つクジラ類も「一突き型交尾」
一方、クジラ類は海洋での生活を選択した結果、重力から解放され、体を大きくすることで、陸上の草食動物ほど天敵に怯える必要はなくなった。しかし、お互い泳ぎながら交尾したり、定期的に海面に浮上して呼吸をしたりしなければならない。こうした不便さを補うためか、クジラ類もこの一突き型交尾を継承し、陰茎の形も弾性線維型でS字状に体内に収まっている。外側に陰茎や精巣があれば、遊泳のとき邪魔になるというものであろう。
さらに、すべての哺乳類では陰茎は基部で二股に分かれ(陰茎脚)、骨盤の坐骨部に付着し、安定性と身体との連動を担っている。我々人間も同様、骨盤は上半身と下半身を連結させ、移動手段である四肢(人間では後ろ足)を駆動させるのにも役立っている。
クジラ類は進化の過程で後肢を退化させ、尾ビレに推進力を託して水中生活へ適応進化を遂げたため、後肢と骨盤の関係は消失してしまい、骨盤は遺残的な形状(棒状や三角形で、脊椎との繋がりはない)に変化した。
しかし、哺乳類であり続けた結果、骨盤内臓と骨盤の関係は保持している。つまりオスに至っては、陰茎が遺残的な骨盤である「骨盤骨」に付着し、腸からの陰茎後引筋も存在している。じつは、この部分の肉眼解剖学的研究が私の東大時代の博士論文であり、クジラ類のオス・メスの生殖器と骨盤骨、周辺構造を解剖し、観察していた。
今になって多くの方に紹介できる機会に恵まれたことは、嬉しい限りである。
著者プロフィール写真撮影=上重康秀
1971年生まれ。日本獣医生命科学大学(旧日本獣医畜産大学)獣医学科卒業。学部時代にカナダのバンクーバーで出合った野生のオルカ(シャチ)に魅了され、海の哺乳類の研究者を志す。東京大学大学院農学生命科学研究科にて博士号(獣医学)取得後、同研究科特定研究員を経て、2005年からテキサス大学医学部とThe Marine Mammal Centerに在籍。2006年に国立科学博物館動物研究部支援研究員を経て現職。