シャトー買収が意味すること

サントリーがラグランジュを買収した1980年代は、サントリーが日本のウイスキーメーカーから世界的な総合酒類飲料メーカーへと脱皮を図っていた時代だった。その流れのなかで、メドックのグランクリュを所有することにいったいどのような意味があったのか?

ラグランジュ買収の経緯を記した『シャトーラグランジュ物語』(「ラグランジュ物語」制作プロジェクト・新潮社図書編集室)という本の中に、次のような記述がある。

ボルドーのグランクリュは新しくつくることはできない。ナポレオン三世が一八五五年に作った格付けがいまだに通用していて、改正されることはない。すでに格付けを持っているシャトーを買収するしかグランクリュ・オーナーにはなれない。
(当時のサントリー海外事業展開の担当者である)小林は「グランクリュのソーシャル・プレステージの高さ」を大いに膨らませた提案書を送った。すると、本社からは素早く「OK」の返事がきた。

ソーシャル・プレステージの高いグランクリュを所有することは、フランスのみならず欧州において、さらにはワインの一大消費地であるアメリカにおいて、その所有者のソーシャル・プレステージをも高めることになる。当時、世界的にはまだまだ知名度の低い会社だったサントリーが世界進出を図る上で、ラグランジュの買収はいわば世界で商売をしていく上での「名刺」を手に入れるようなものだったのである。

伝統を守りながら20年かけて復興していった

買収時の荒廃した状態から約20年の歳月をかけて、サントリーはラグランジュを復興させている。この間、サントリーの現地社員は、まさに郷に入りては郷に従えの教え通り、ボルドーの伝統を墨守しながら城館を修復し、新しいぶどうの樹を植え、復興の努力を重ねている。

シャトーラグランジュの外観。
写真提供=サントリー
シャトーラグランジュの外観。

たとえば、ラグランジュの顧問に2級のグランクリュのオーナーであるドロンという地元の重鎮を迎えているのだが、現地の日本人社員は仕事の内容のみならず、住居の広さ、住む場所、セレモニーで着るスーツの色や形までドロン氏の指示を仰いだという。ボルドーとはそれほど伝統を重んじる地域でもあるとも言えるし、それほど保守的な土地柄でもあるということだろう。

ラグランジュの復興には20年の歳月を要したが、この20年は徹底的に現地に入り込んで確実にシャトーを蘇らせていく20年であった。吉雄さんの言葉を借りれば、「やるべきことがはっきり見えていた」20年だったということになる。