「ルパン三世」とのコラボ以来、コナンはスペクタクル化した
「名探偵コナン」は、文字通り探偵ものです。だから、コナン映画も、長らく「殺人事件の推理や解決」が映画の主軸でした。当然のことです。建物の爆発や炎上などはよくあることでしたが、基本的には殺人事件という狭い人間関係で生じる物語がメインストーリーであり、従って、基本的には小さい話になりやすいわけです。
しかし、文芸評論家のさやわかさんが、『名探偵コナンと平成』という名著で指摘するように、2009年にテレビスペシャルで行われた「ルパン三世」シリーズとのコラボが行われた辺りから、事情が変わってきました(コラボ映画は2013年)。ルパンコラボ以降のコナンは、スペクタクルの度合いが高まり、結果としてできるだけ大きな破壊や派手なアクションが映画の随所で散りばめられるようになったのです。
さやわかさんは、こう続けています。
それ以前も建物一つが爆発するうんぬんといった描写があるのですが、街を舞台にした丁々発止のやりとりが激化しているのも確かに思えます。映画にしばしばテロリストが登場するようになったのがその証しです。
シンガポールの船形の展望デッキが港へ落下したことも
私としては、その「映像的なスペクタクル」を求める方向が、ここ数年のコナン映画では、〈街を破壊する想像力〉へと向かっているのが面白いと感じています。脚本上の壮大さやスリルの演出の仕方が、空間的に大規模な破壊になることが続いているのです。
コナンは子ども向けコンテンツなので、悲劇は防がれます。つまり、コナンたちの立ち回りによって、街や大建築の破壊やテロルが現実のものになることはありません。しかし、街の破壊が寸前で止まるとしても、娯楽映画としては、スペクタクルのために街が危険にさらされねばならないわけです。
ハリウッドをはじめとして、〈街を破壊する想像力〉それ自体は珍しくもないわけですが、コナン映画は何十年も毎年続いているため、なかなか趣向が凝らされ、多様な想像が展開されている点が特筆に値します。
例えば、『純黒の悪夢』(2016)では、観覧車の留め金を外されて坂道を転がり、辺りをなぎ倒しながら遊園地来場者が避難しているところに転がっていく場面があります。
『紺青の拳』(2019)では、シンガポールの高級ホテルであるマリーナベイ・サンズの屋上にある、ビルよりも巨大な船型の展望デッキ(サンズ・スカイパーク)がいろいろあってシンガポールの街や港へ落下していくシーンがあります。