かつて存在した「女性を隔離する」発想
そもそも女子大学は、女性が家庭の外では露骨に差別をされていた時代に、女性を隔離して高等教育を与えるために生まれたシステムだ。1901年に創立した日本女子大学校(現在の日本女子大学)が日本初の組織的な女子高等教育機関とされる。そこから少しずつ女性にも高等教育の門戸が開かれていくのだが、終戦までは基本的に「大学は男のもの」だったといえる。
戦後も長らくは「男は外で働き女は家を守るもの。だから女は四大に行かないでいい」が当たり前だった。象徴的な事例をひとつだけあげると、男より女のほうが強い大学の代表格である上智大学が、女子学生の入学を許可したのは1957年のことである。それまでの上智は男子大学だった。
若い女性が消費活動の最前線に立っていたバブル経済期(80年代末~90年代はじめ)でも、「親が反対するから、早稲田じゃなくて女子大に進学した」という学生がいたものである。当時はまだ「女性を隔離する」発想が生き残っていた。
あえて女子大を選ぶ意味が分からない
しかし、そこから30年経った今、「親が反対するから、早稲田じゃなくて女子大」と聞いたら、意味不明な若者がほとんどだろう。あえて女子大を選ぶ意味が分からないのだ。
その存在意義を、女子大教授など肯定派の識者たちは「男子を気にせずに集中して勉学に励める」と説明することが多い。でも、そんな勉強マシーンみたいな女性を育成していいのだろうか、現実離れした屁理屈ではないか、と私は首をひねる。
「女性リーダーを輩出する社会的責務がある」といったことも言う。え、共学から女性リーダー生まれてますけど、と思う。リーダーたるもの多数の男性も束ねなきゃいけないのだから、実物とコミュニケーションを重ねなければ話にならないでしょ、と本当に思う。男女差別はまだ残っているとはいえ、それらの問題は男女共に解決していくもの。そう発想する方が自然なのだ。
女子受験生はもちろん、いまやその保護者世代も、女子大に積極的な存在意義を探せない。根本的にはそれが最大の理由で、女子大の価値が急落し、消えていく例が増えるのではないか。
共学化を推進すべし。これまでの共学化は、大学名から「女子」を削ったり、まったく別の名にしたりしてきた。だが、これも発想を転換して、「女子」の名はそのままに男子にも入学許可を出す、なんていうのも面白いかもしれない。
恵泉女学園大学の場合だったら、園芸学部や心理学部を志願する勇敢な男子もいるだろう。想像すると、何かやってくれそうな若い男の子の顔が浮かぶのだが、そんな学生の芽を伸ばす存在意義も新しい「女子大」にはある気がしてくる。