「わかりません」と言わないChatGPTは怪しい
文章作成・校正に限ればChatGPTの実力、そしてそのコスパはすさまじい。一方、ChatGPTは「事実」に関してはかなり怪しい。実際、例えば「慶應ビジネススクールの清水勝彦ってどんな人ですか?」と聞くと、え? といった答えが返ってくる。経歴を聞くと全く間違った情報を返してきたし(例えば、スタンフォードの博士をたった2年で取得したことになっていた)、これは他の先生についても同じだった。
実際ChatGPTは「わかりません」とはまず言わないという(聞き手側の質問が曖昧過ぎてわかりませんというのはあるにしても)。研究者の間ではAIが十分な情報がなくても答えを作り上げること
【1】間違った情報でも正しいものとして示す
【2】質問したときに「わかりません」と言わない
【3】十分な情報がなくても答えを作り上げる
【4】情報(答え)のソースを明示しない
画期的な技術だが過大評価も過度に恐れる必要もない
私がEmailに初めて触ったのはMBA留学中の1992年、30年前であり、自分でモデムを買ってインターネットをやりだしたのが博士課程の1996年だった。「ダイヤルアップ」と言われる電話回線を使用したもので、画像などをダウンロードしようものなら分の単位がかかったし、それを見ていたディスプレーもおそらく今の人たちは見たことないであろうブラウン管のモニターだった。それがあれよあれよとハイスピードになり、モニターはフラットになり、いまはPCはいらない、スマホで十分という時代である。
こうした技術進化には馬車と自動車が例えに挙がることが多い。おそらく馬車関係の人々は失業、そしてその後の生活におののいたであろう。しかし、振り返ってみれば何でもない。新しい仕事がどんどん生まれ、むしろ生活はよくなっている。ChatGPTも同じようなことだろうと思う。
その意味で、ChatGPTを過大評価して大騒ぎする必要はないと思うし、過小評価あるいは進化を妨げようとするのもおかしい。要はうまく使えばよいのである。ただ、そこで忘れられがちなのは、作業としての勉強や仕事ではなく、そもそもの「目的」「
テキサスA&M大学Ph.D.。コーポレイトディレクションでの戦略コンサルタント、テキサス大学サンアントニオ校准教授(テニュア取得)等を経て、2010年より現職。専門は組織変革、戦略実行、M&A。近著に『機会損失「見えない」リスクと可能性』。