何度お願いしても頑なに自分を変えようとしない人がいる。自分が正しいと思い込んでいる人にはどう接すればいいのか。哲学者の小川仁志さんは「それには二つの方法があり、あきらめるか自分を変えるかのどちらかです」という――。

※本稿は、小川 仁志『不条理を乗り越える 希望の哲学』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。

詰問する人とされる人のシルエット
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人間関係とは厄介なもの

人が悩む場合、その多くは人間関係に原因がある。というか、これは私の実感でもある。

なぜ、イライラするのか、なぜ、落ち込むのか……。それは仕事がうまくいかないとか、家族や友人ともめたとか、そういう理由からであることが多い。

私たちは無人島に住んでいるわけではないのだから、独りで物事が完結することなどほとんどない。そうすると、なにをするにしても自分以外の他者が絡んでくる。

その他者のせいで、自分の思った通りに物事が進まない事態が発生するのだ。それがイライラしたり、落ち込んだりする原因になる。そういう状況を「人間関係」と呼ぶのだ。人間関係がどうなのか具体的にいわなくても、この四文字で状況がわかってしまう。それほど、人間同士の関係というのは厄介なものだということである。

そう、私たちが日ごろ、この言葉を使うときは、特別な意味を込めている。単純に人間同士の関係性のことをいっているわけではないのである。特別な意味、基本的にはネガティヴな意味を込めているといっていい。

コントロールすることのできない他者に、苦しめられている関係である。とはいえ、他者の方は、必ずしも相手を困らせてやろうと思っているわけではない。

「そんなつもりはなかった」と思っていても

これもまた、私の体験に基づくのだが、ある日突然、会議における私の態度の悪さに対して出席者から苦情が寄せられたことがあった。よもや、自分が誰かを困らせているなどとは思ってもいなかった私は、思わずハッとした。会議を取りまとめていた私は、ただ単に結論を統一しようとしていたのだが、それが人の意見を軽視し、抑えつけているととられたのである。もちろん、そんなつもりは毛頭なかったにもかかわらず……。

私たちは、自分が正しいと思うことを普通に発言し、行動しているだけで、それが誰かにとっての「人間関係」の原因になってしまっていることがあるということだ。