「イエ中心主義」の政治指向は「自民党型政治文化」の核

本書『自民党の女性認識』では女性の政治への参入を拒む要因は、「イエ中心主義」の政治指向が形作ってきた「女性認識」にあることを順を追って説明するが、「イエ中心主義」の政治指向を形成してきたのは、戦後政治のけん引役として長期にわたって(一時的な下野期間を除き)政権の座にある自由民主党である、との前提で議論を進めていく。

理由は日本の文化と政治文化の関係性にある。女性に対する認識は広くは日本の文化・伝統・慣習によって育まれ、社会に根付いてきたものであるから、日本における女性認識は日本の文化の一端であると解釈できる。そのうえで政治文化は日本文化のサブカルチャーであると位置づけると、政治文化を構成する政治指向は政治文化のさらなるサブカルチャーである。つまり入れ子のような関係である。

では政治文化は誰が主導的に形成してきたのかと問えば、それは戦後政治の舞台で政権党として制度設計をけん引してきた自民党であることは明白である。それを戦後の「日本型政治文化」とすれば、それは「自民党型政治文化」とほぼ同心円をなし、日本文化に政治文化がサブカルチャーとして入れ子になっている関係と同様、政治文化に「自民党型政治文化」が入れ子になっているのである。

現在まで延々と続く女性の過少代表の原因を「女性に対する認識」にあるとする本書では、そのような認識を包括する政治指向は「自民党型政治文化」の入れ子に他ならない。つまり、「イエ中心主義」の政治指向は「自民党型政治文化」の核であると考えている(図表1参照)。

よって政治指向の形成過程を検討する対象は戦後の自民党であり、同党が戦後保守政党として再生して行く過程ははからずも「イエ中心主義」の政治指向と「イエ中心主義」の女性認識が形成される過程と驚くほどの合致を見るのである。

自民党の女性認識は、なぜずっと変わらずにきたのか

本書は2部から構成されている。第1部では、どのように、「イエ中心主義」の女性認識が自民党の政治指向として形成され、再生産されてきたかを明らかにする。第2部では、実際の自民党議員のキャリアパスを独自に調査・分析することにより、どのようなキャリアパスを持った人物が選ばれてきたか、自民党の候補者選定の傾向を明らかにしていく。つまり実際の候補者選択の傾向が、第1部で分析する自民党の政治指向を反映していることが明らかになれば、戦後に形成・再生産されてきた政治指向、とりわけ女性認識が今日まで変わっていないことが裏付けられるからである。