心の中に段ボールを置いてみる
まず、心の中に段ボール箱を置いて、そこに上がってみてもらうんです。すると、ちょっと目線が上がりますよね。すると、「こんなことをネットに書き込んでうさを晴らすなんて、残念な人だな」と捉えられるようになってきます。
人を見下すことはよいことではありませんが、目線が上がれば見渡せる範囲も広くなって、物事を俯瞰で捉えられるようになります。ネットに書かれたことが気にならなくなって、相手を許せるようになったら、心の中で組み立てた段ボールは、畳んで脇に置いておけばいいんです。
うちのお寺に来て泣いている人には、「バカにいじめられちゃったんだね」といってこの方法を試してもらっています。「本当にバカみたい」「そうだよ~」なんて話をしているうちに、晴れ晴れとした表情で帰って行かれる方も多いんです。
「毒を吐く」という言葉があります。汚い言葉を使うのは、あまり勧められるものではありませんが、許される人と許される空間の中だけであれば使いようだと思います。この場合は「毒を吐く」といっても毒づくことではなく、解毒になるからです。
私は自分の体はお借りしているものだと思っています。よそ様のものだと思えば丁寧に扱って、最後は解毒してきれいな状態でお返ししようとなりますよね。よかったらぜひ、心の片隅に段ボールを置いてみてください。
「私のことに違いない」と思ってしまう心理
以前、ある女性からこんな相談を受けたことがあります。仮にAさんとしましょう。「たまたまネットを見ていたら、『どう考えてもこれは私のことだよね?』という内容の書き込みがあったんです。私のことを悪く思っている人が近くに居ると思うと本当につらいんです」と。
私にも経験がありますが、こういう時はすごく敏感になってしまいます。
「ネットを見なければいいだけ」という意見もあるでしょう。しかし、自分のことが書かれていると思うと、つらくなるばかりだとわかっているのに、引き寄せられるように書き込みを追ってしまうことがあります。それはある種、仕方のないことなのですが、なかには別の人について書かれたことでも自分のことだと思い込んで、被害妄想に陥ってしまうケースもあるんです。
Aさんも最初は、「これを書き込んでいる人は、同じ会社の人なんじゃないか。これは私について書かれた悪口なのでは?」と思うところから始まりました。そこから徐々に思い込みが加速し、会社に行っても「この人が書いたんじゃないか」と疑心暗鬼になっていったんです。そこから転がり落ちるように、「誰かが見ている気がする」と思うようになり、ついに自宅のカーテンも開けられなくなったそうです。
「駅前を歩いていたら、知らない女子中学生が私に何かささやいてきた」と言ってきたこともあります。「その子がお友達とおしゃべりしていているときに、たまたまそれが聞こえただけじゃないの?」と言っても、「いや、あれは私に何かを言ったんだ」と頑ななんです。