「東大理三しかない」と思い詰める不幸
だから、その事件にはどこか既視感があった。
今年1月15日の大学共通テスト初日、東京メトロ南北線東大前駅からすぐの東大弥生キャンパスで、名古屋市の17歳男子高校生が72歳男性に刃物を突き立て、受験生の17歳女子高校生と18歳男子高校生にけがを負わせるという刺傷事件が起きた。捕まった少年は東大理科三類を目指して猛勉強していたが、成績が下降し精神的に追い詰められ、「東大理三に合格できないのなら自殺しようと思った。人を殺して、罪悪感を背負って切腹しようと考えた」と供述したという。
医師を目指していたのではない。順位や偏差値への強い執着を持っていて、自分は成績ランキングトップの存在なのだと周りに証明するために、東大理三に固執し続けていたのだ。学業面の失敗にパニックを起こし教室内で発作的に自傷行為に及んだことがあるとも言われており、その自傷的な性格傾向の延長上にあった殺人未遂事件である。
17歳で東大、しかも理科三類しかないと思い詰める人生は、不幸だ。周囲の誰も、そうは無理強いして教え込んでいなかったと報道されており、それが本当なら、なぜ誰も思い詰めた彼の異常に気づかず、救ってあげられなかったのかと感じる。黙々と真面目に勉強しているなら、少しくらいおかしな言動があっても変人の範疇で大丈夫だ、放っておこう、と大人たちは思ったのだろうか。ならば「勉強ができるなんてのは不幸なことだな」と思う。
トップ、一位、最高、あるいは一流。何もかもを比較して並べるランキングの中にしか自分の存在を確かめられなくなってしまった人間は、その優れているはずの脳が腐る。それは大人の世界になお顕著だ。磨かれたはずの知性を、信じられないほど下劣なことに雑にドバドバ注ぎ込み、ズブズブと沼の中に溺れていく。そんな、互いを比べてギスギス競争するばかりの貧しい人生を送る「エリート」にたくさん心当たりがあるだろう。
大人は、そんな貧しい「エリート」のミニサイズを育てちゃいけないんだ。
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。