1月7日にデジタル庁が関係省庁とともに公表した「教育データ利活用ロードマップ」がSNSで炎上を続けている。日本大学の末冨芳さんは「教育データ利活用のうち、とくに学習履歴の利用について強く警戒されるのは、大学入試改革の一環として2017年に開始されたものの2020年に運用中止となったJAPAN e-Portfolioへの不信感が、教育関係者や保護者に強く残っているからだろう」という――。

※編集部註:初出時、記事内でベネッセコーポレーションについて触れた箇所は、事実関係の確認が不十分でした。当該箇所を削除します。関係者のみなさまにお詫び申し上げます(2022年2月4日10:00追記)

タブレット端末で勉強する小学生
写真=iStock.com/Vitalii Petrushenko
※写真はイメージです

なぜ炎上しつづけるのか

前回の記事「まだ始まってもいないのに…デジタル庁の『教育データ利活用』が大炎上してしまったワケ」で、デジタル庁の情報発信戦略のミスと、それによってできた国民とのコミュニケーションギャップについて指摘した。

しかし私がこのような状況説明をしたとしても、教育データ利活用に関する警戒感・不信感は簡単にはおさまらないだろう。

教育データ利活用ロードマップの公表、とくに最初のスライドに示される「誰もが、いつでもどこからでも、誰とでも学べる社会」については、省庁あるあるのスローガンなのであるが、個人が学びたいかどうかは、個人の自由であり、余計なお世話だと感じる人はいるかもしれない(私は正直そう思ってしまった)。

教育データ利活用のうち、とくに学習履歴の利用について強く警戒されるのは、大学入試改革の一環として2017年に開始されたものの2020年に運用中止となった主体性評価・e-ポートフォリオへの不信感が、教育関係者や保護者に強く残っているからだろう。また高校入試や大学推薦入試等で内申点システム等を採用する日本の入試制度により、今以上に児童生徒の日常生活の得点化や教員への良い子アピールが加速させられてしまうのではないかという懸念もあるだろう。

自民党、文科省のデータ活用能力の低さ

教育政策の研究者である私自身も、これまでの自民党・文科省のデータ活用能力の低さ(※1)、主体性評価・JAPAN e-Portfolioの問題から生じた不信感が学校現場や児童生徒・保護者に残っている限り、そして教育行政の主体である文科省・教育委員会が子供や教職員の権利・尊厳を守るルールを順守し、ウェルビーイングの向上のためにデータ利活用する能力を向上させない限り、学習履歴の活用、児童生徒の個人の認知・非認知能力に関するデータ利活用は避けるべきだと考えている。

なおこれまでの自民党・文科省のデータ活用能力の低さについて(※1)、進化への期待について(※2)は別稿に述べているので、本稿では割愛する。

※1 末冨芳,2021,「データと研究に基づかない思いつきの教育政策議論」松岡亮二編著『教育論の新常識―格差・学力・政策・未来-』中公新書ラクレ
※2 末冨芳,2022,「大学入試改革の迷走から何を学ぶか」『中央公論』2022年2月号