人生の無常に苦しむあなたへ
「どんなに若くとも、生きて会える時間は数えるほどしかない」
ほんとうはどんなに若くとも、もう生きて会える時間は数えるほどしかありません。会ったところでどうなるというものでもないが、私は多くの人と会って楽しかったのです。人の向こうに一つひとつの人生が輝いています。人生を眺めさせてもらうことは、何よりも光栄だし、心をとろかすほどのすばらしさを味わえます。
そして敢えて言えば、終わりがあるから人生は輝くのです。
「死者は私たちのうちに生き続け、語りかけている」
通常、善意に包まれて命を終える死者が残した家族に望むことは、健康で仕事にも励み、温かい家庭生活を継続することでしょう。息子にはぜひ総理大臣になってもらいたい、という生々しい野望を残して死ぬ人もいるかもしれませんが、人間は、その誕生と死の時だけは、不思議なくらい素朴になります。
赤ん坊が生まれる時、親たちが願うただひとつのことは、健康であること。死者が残していく家族に望むことは、「皆が幸せに」という平凡なことです。だから私たちは常に死者の声を聴くことができます。死者が、まだ生きている自分に何を望んでいるか、ということは、声がなくても常に語りかけているのです。
おそらくその声は「生き続けなさい」ということではないでしょうか。自殺もいけない、自暴自棄もいけない。恨みも怒りも美しくない。人が死ぬということは自然の変化に従うことです。だから生きている人も、以前と同じような日々の生活の中で、できれば折り目正しく、ささやかな向上さえも目指して生き続けることが望まれているのです。
その死者が私たちのうちに生き続け、かつ語りかけている言葉と任務を、私たちは聞きのがしてはならないのです。
永遠のものは存在しない
「川の流れの中に立つ杭のように」
品を保つということは、一人で人生を戦うことなのでしょう。それは別にお高くとまる態度を取るということではありません。自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところ、拒否すべき点とを明確に見極め、その中にあって決して流されないことです。
この姿勢を保つには、その人自身が、川の流れの中に立つ杭のようでなければなりません。
「あらゆるものを得た瞬間から失う準備をする」
私たちが持っているもの──命も、家族も、悲しみも、喜びも、物も、この世との係わりも、すべてがやがて時の流れの中に消えていきます。永遠に自分のものであるものなどないのです。さわやかな儚さです。
こういうふうにみんなが認識できれば、何かを得るための争いや犯罪は減るでしょう。得られない苦しみや、失った時の悲しみも少しはなくなるでしょう。生に対する執着も弱くなって、死への恐怖も薄れるでしょう。