自我を捨てれば問題も消える

それでは、心を治すには、どうすればいいのでしょうか?

心というのは「わがままな大バカ者」です。手に負えない曲者です。

エゴを守るために、あの手この手の言い訳を繰り出してきます。我々が簡単に考えつくような方法では、その病んだプロセスは治せません。

最終的な答えを先に言ってしまうと、「自我を捨てること」です。自我からすべてが生まれるのですから、それがなくなれば問題も消えるのです。

自我のたわごとには一切耳を貸さないで、自我そのものを捨ててしまうのです。

自我を捨てるとは、「自分の心は、弱くて脆くて大したことのないものだ。どうでもよくてくだらない心だから、誰のものでもべつに同じだ」という事実を認識することです。

そういうふうに、自分という自我を完全に横に置いておければ、自分が何者でもないことを心から理解できます。

“たまたま”くらいがちょうど良い

そうすると、失敗しても成功しても平然としていられるのです。たとえ失敗しても、「自分は大したことのない人間なんだから、まあ仕方ない」と思うだけで、全然怒りなど湧いてきませんし、落ち込むこともありません。

逆に成功しても「我ながらよくやるじゃないか。でもまあ、たまたまうまくいっただけだ」と思うだけで、偉そうな気分には決してなりません。

いつもそういう気持ちで生きていられれば、絶対に病気にはなりません。たまたまうまくいっただけ、たまたま会社が儲かっただけ、たまたま失敗しただけ……。ぜんぶ大したことではなくなります。

でも、現実は違いますね。「たまたま」の代わりに人間が何を考えるかというと「ここは私に任せろ」とか「私がこの会社をここまで発展させたんだ」とか「私にはこんなすごい能力があるんだ」とか、そんなところでしょうか。

そんな気持ちでいると、うまくいかなくなったとたんに耐えられなくなって、病気になったり、最悪の場合は自殺してしまったりします。

環境は常に変わっています。自分の置かれた状況がずっと同じということはありえません。仕事もうまくいったりいかなかったりします。失敗なんてありふれたことです。

仏教的に正しい態度は「精一杯やったら、失敗しても成功しても、どっちでも構わない」という態度です。それをしっかり覚えておけば、健康な心を維持することは難しくありません。

アルボムッレ・スマナサーラ(Alubomulle Sumanasara)
スリランカ上座仏教長老

1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。80年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事。ベストセラー『怒らないこと』『バカの理由』ほか著書多数。右の写真は、釈迦牟尼(ブッダ)の身体から発したとされる後光の色を配した「五色の仏教旗」。