メダルを目指して準備してきた
ソフトボール日本代表が今年7月の東京オリンピック(五輪)で宿敵・アメリカを2-0で下して悲願の世界王者の座をつかんでから2カ月。宇津木監督は改めて安堵の表情をのぞかせた。
「確実に(東京五輪で)金メダルを取れるやり方だけを考えて、何年も準備をしてきました。その間は無我夢中であまり感じませんでしたが、振り返ってみると、背負ってきたものの大きさを感じます」
宇津木監督は、1988年に、尊敬する宇津木妙子さん(元日本代表監督)を頼って中国から来日し、95年には宇津木妙子さんから日本名をもらって帰化した。2000年シドニー五輪の銀メダル、2004年のアテネ五輪の銅メダルに貢献するなど、日本代表チームの主力選手として活躍した後、実業団チームや日本代表チームの監督として、東京五輪を見据えて後進の育成に関わってきた。
宇津木監督がコロナによる異変を肌で感じたのは、2020年1月から2月のオーストラリア、グアムでの海外強化合宿から帰ってきた時だった。3月5日から沖縄県読谷村で実施予定だった強化合宿が中止になり、「これは大変なことになる」と暗澹たる気持ちになったという。
さらに3月24日、東京五輪の1年間延期が正式決定。4月には、最初の緊急事態宣言が発令され、群馬県にある自宅に閉じこもり身動きが取れなくなった。
その後、以前率いていたビックカメラ女子ソフトボール高崎(ビックカメラ高崎)の練習に少しずつ顔を出すようになった。日本代表チームの選手も、五輪の延期で気落ちしている。ビックカメラ高崎に所属する日本代表のエース投手・上野由岐子選手らの状態チェックは喫緊の課題だったが、接する際は2メートルの距離を取らなければならず、長時間の会話もはばかられる状態だった。