業界を大きく動かした高橋まつりさん

広告業界には「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」などの賞があり、広告業界に顕著な変化をもたらした人は毎年表彰されます。たいていは有名クリエイターがノミネートされるのですが、近年で業界を本当に動かしたのは、紛れもなく高橋まつりさんだったと思います。

「まつりさんは敏感な子だったのでは?」「ゆとりは打たれ弱いから」「プライドの高い東大女子が社会に出て鼻をへし折られたのだろう」「仕事ではなくプライベートに問題があったのでは?」「まつりさんのせいで残業すらできなくなった」

そんな社員の声もちらほら聞かれました。

きっと表面上でも話を合わせた方がいいのでしょうが、私は内心モヤモヤしていました。でも実際に同じような経験をした自分たちが生き残って、まつりさんが亡くなってしまったことを考えると、「近頃の若者はがまん強さが足りないから」という結論に到達するのが理解できてしまう自分もいました。

もし自分の娘さんが将来同じ目にあったら、彼らはそんなことを言えるんだろうか? でも彼らは「娘には広告の仕事はさせない」と言うのです。大切な娘にさせたくないヤバい仕事をしている女が、あなたのすぐ目の前にいるんですけど。

「選ばれるはずない」最初からわかっていた

まつりさんの件が話題になった頃に、働く女性のストレスを癒すことをコンセプトにした化粧品のコンペがありました。

クライアントのオリエンは「話題性を出したい」ということだったので、いまちょうど話題になっているあのことを出さないわけにはいかないだろう、むしろそれを避けて「前髪を切りすぎちゃった」みたいなゆるふわなストレスを描いたら、噓になってしまうだろうと思いました。

CM企画「女性のストレス」篇
<働く女性に様々な言葉がぶつけられ、肌がダメージを受ける様子を描きます>
「疲れた顔をするな」「女子力がない」「女の子は偉い人の隣に行ってお酌して」「女の賞味期限は25歳まで」
NA:現代女性の肌はかつてないほどの大きなストレスにさらされています。
○○○美容液は△△成分配合で、肌ストレスを軽減。
使うたび、健やかな肌へ。
<夜に自宅で女性が商品を使ってほっとしたような顔>
NA:いまを生きる女性とともに。
○○○美容液。

社内での企画打ち合わせのとき「このクライアントでは実現が難しいと思いますが、こんな方向性もあるかもしれません」と前置きしつつ、この企画をプレゼンしました。

私以外は男性メンバーだらけの会議室は凍りついてしまいました。

男の人は女の怒りの表現に慣れていないのかもしれない、そう思いました。

クリエイティブ・ディレクターは言いました。

「広告業界は、最近あんな事件が起きたばかりだしねえ。こういう強い表現だと、クライアントもショックを受けてしまうかもしれないね。笛美の気持ちは伝わるんだけど、もっと他にも癒しを描けてる企画があるから、今回はそっちを出そう」

この企画が選ばれるはずないことなんて、出す前からわかっていました。