「男だろ!」に感じる違和感
今年の箱根駅伝では、逆転優勝した駒澤大学の監督が「男だろ!」という言葉で選手を励ましていました。SNS上では女性差別だという意見も出ていましたが、私が特に興味深く思った点はそこではなく、今ここで選手たちが勝たねばならない理由が「男だから」になっているということでした。
こうした思い込みは、男性にとっては間違った男らしさに、女性にとっては競争相手から排除されることにつながるもので、男女どちらにも有毒になりえます。最近、よく話題になっている「有毒な男らしさ」という言葉は、この点をよく表していると言えるでしょう。
つらさを生み出す「有毒な男らしさ」
男性学では、男性が男らしさを証明する方法には「達成」と「逸脱」の2パターンがあるとされています。前者は一流企業への就職や出世などいわゆる社会的地位の達成を指し、後者は荒れる成人式や働きすぎ自慢のように、一般から外れた行動によって自分のすごさをアピールするものです。
私の考えでは、より問題が大きいのは「達成」のほうです。日本では、男女とも男らしさのあかしとして男性に勝利や出世を求めがちですが、これらを人に課すことの有毒さはあまり知られていません。常に勝たねばならないというプレッシャー、そして達成できなかった時の挫折感は、実はその人の人生を台無しにしかねないほど有毒なのです。
負けたら途方もない挫折感を味わい、勝ってもその地位で特にやりたいこともなく充実感を味わえない──。男性には、そんな生き方が自分にとって本当にいいのかどうか、一度立ち止まって考えてみてほしいのです。