最近まで、深刻な「犯罪」とみなされていなかった痴漢。被害者も、被害にあうことを恐れている人も、その深刻さ、つらさをなかなか周りに理解してもらえないことがあります。社会学者の森山至貴さんは、「ひどいとは思うけど、そこまで傷つくことかな?」に象徴される「ずるい言葉」は、弱い立場の人たちをさらに傷つけるといいます——。

※本稿は、森山至貴『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。

混雑した東京メトロ地下鉄で移動する人々
写真=iStock.com/enviromantic
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生徒A「今朝電車の中で痴漢されそうになったから、降りるふりして隣の車両に移ったんだよね」
生徒B「実際にさわられたりしなくてよかったね」
生徒A「うん。なんで学校に来るためにこんな目にあわなきゃいけないんだろう」
生徒B「でも痴漢されたわけじゃないし、ひどいとは思うけど、そこまで傷つくことかな?」

傷ついていると認めてもらえなくて傷つく

人を傷つけることは悪いことである、という感覚は多くの人が持っていると思います。ところが、このことがいつもきちんと認識されているかというと、残念なことにそうではありません。なぜなら、「傷つく」という経験にまともに取り合わなくてよい、とされてしまう場合があるからです。

そのひとつの例が痴漢です。痴漢されるということは、勝手に自分の身体を性的な欲望の対象としてみなされ、自分の意志に反してその欲望を満たすために利用されることですから、そのことに傷つくのは当然です。

ところが、自分の意志に反して自分の身体を扱われてしまうことのひどさは、残念ながらこれまでとても軽視されてきました。「さわられたくらいで減るものでもあるまいし」といった自分勝手な正当化によって、痴漢はたいしたことではない、そんなことでいちいち傷つくな、というとんでもない考え方がまかり通ってしまっていたのです。

痴漢に関して、もうひとつ大事なポイントがあります。痴漢は多くの場合男性から女性に対しておこなわれますが、その背景には「女性の身体は男性が自由に扱ってよいもの」という考えが存在しています。痴漢が軽視されることは、多くの場合において女性の意志や自由が認められていない、つまり女性が弱い立場にもともと置かれていることと結びついているのです。

たしかに、もともと弱い立場に置かれている人が傷ついたとして、その経験が軽視されがちだ、ということはないでしょうか。転校生だったら方言やアクセントをからかわれても仕方がない、目が見えない人間はぶつかられても仕方がない、車いすなら乗車拒否されても仕方がない……本当に残念なことに、思い当たる例はいくつもあります。傷ついていると認めてもらえないことによってさらに傷つく、という悪循環は、残念ながらこの世の中のいたるところに存在するのです。