「老人ホームや障害者施設にいる人たちだって、それまでの日常というものがあったわけでしょう。人のぬくもりを感じること、大切な家族に愛されていると実感できることが必要でしょう? 心理的な側面は、人間の基本でしょう? 私たちはみな、人間なのだから。(中略)」
「園芸店や日曜大工ショップの営業を許容したのも同じ意味合いです。みんな、自宅に閉じこもっているけれど、季節がよくなって、外で何か前向きなことをしたいなと思うのが人情ではないかしらと」

「もう封鎖は限界になっている」

4月24日、いよいよ出口戦略が発表される日がやってきた。その日は、朝9時から始まった国家安全保障会議とGEES、sciensanoの議論が延々と続き、国営テレビはこれを伝えるために昼以降の全ての番組を返上した。これで、ベルギーの人々がどれほど解放の日を待ちわびていたかがわかると思う。巣ごもり状態の市民はテレビの前で今か今かと発表を待ち続けた。

12時間以上が経った22時。侃々諤々の議論を終えて首相はカメラの前に現れた。疲労の色をのぞかせながらも、大急ぎで作成されたであろうパワーポイントのスライドを的確に用いながら、ベルギーの主要公用語であるフランス語とオランダ語でゆっくりと丁寧なプレゼンを開始。開口一番、首相はこう言った。

「もう封鎖は限界になっている、ゆっくりでも起動し始める時と決断しました」

慎重を期した解除方針

ブリュッセル旧市街には世界遺産の広場「グランプラス」がある。封鎖が1カ月半を超えたこの頃、その石畳にぺんぺん草が生えているとのニュースが伝えられ、市民のつらさはピークに達していたと思う。そして、こう続けた。

「出口戦略というのは、今まで誰も一度もやったことのない未知のことだということをわかってください。公衆衛生上の知見に基づいて、入院者数、特に集中治療室の病床占有率などの指標をきっちり透明に示しながら進めるけれど、不確実性が高く、誰も保証はできないということを覚悟してほしいのです」

段階的に本当に少しずつ解除し、状況が悪化すればいつでも後戻りがありうることを明言した。解除にあたっては「市民の健康」「社会的に脆弱な者を守ること」以外に、「教育を途絶えさせないこと」「経済を動かすこと」「全体的な社会福祉を全うすること」という3つの柱も考慮していると説明して市民の理解と協力を訴えた。

だが、その内容は解放の日を待ちわびていた市民には、予想以上に長く厳しい抑制的なものだった。記者の質問は0時を過ぎても続いた。