2020年3月、コロナ禍のベルギーで緊急事態宣言を発出したのは、前年10月に同国初の女性首相となったソフィー・ウィルメス臨時首相だった(現在は副首相兼外務大臣)。それまではベルギーでもほとんど知られていなかった彼女だが、同年9月に臨時首相を降りて副首相になるまでのコロナ対応は高く評価された。ベルギー在住のジャーナリスト、栗田路子さんがリポートする――。

※本稿は栗田路子・プラド夏樹・田口理穂ほか4名による『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

ソフィー・ウィルメス首相(当時)2020年4月15日撮影
写真提供=Thomas Daems – Office of Ms. Sophie Wilmès
ソフィー・ウィルメス首相(当時)2020年4月15日撮影

人口あたりのコロナ死者数が世界最多に

3月の封鎖宣言後、ベルギーの感染状況は急激に悪化の一途をたどり、4月初めには、人口100万人当たりの死者数で世界トップに躍り出てしまった。

何事にも中庸で世界ランキングの上位に出てくることなどないベルギーが単位人口当たりのコロナ死者数でトップになると、市民は動揺して批判が高まり、報道陣は厳しく追及した。

専門家はこの追及に対して「死亡率の数え方はまだ世界で統一したルールはなく、ベルギーはWHOや欧州疾病予防管理センター推奨の方法をとっている」と説明した。つまり、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)による死ではないと断定できない場合は全て、「コロナの疑い」としてコロナ関連死に含めていると説明したのだ。

PCR検査が間に合わない場合、老人ホームなど病院以外で亡くなる方が新型コロナウイルスに感染していたのかは確かめられない。これに加え、たとえ亡くなった方がコロナに感染していたとしても、それが直接死因かを断定するには、解剖などによる検証が必要になる。

そこでベルギーは、状況が落ち着いたら、過去のデータと比較して「超過死者数」からコロナ死者数を逆算して精査する方針をとるとした。周辺国に比べてあまりに多い死者数に、医療崩壊を恐れていた市民はこの説明を半信半疑ながら受け入れた。

ただこの頃は、老人ホームでのおびただしい死者数の増加とともに、非常事態で緊迫感が走る医療現場や専用航空機での患者搬送の様子が、毎日のようにテレビやSNSで伝えられていたため、市民の間の緊張がピークに達していた。

封鎖は延長、しかし明るい見通しも

そんな4月15日、2回目の封鎖期間延長を伝えたウィルメス首相は、5月4日からの段階的封鎖解除の準備に入ったことを伝え、市民の萎える心を奮い立たせたのだった。

「3月12日の封鎖措置以来、みなさんがルールを守ってくださった、その努力と犠牲を心から誇りに思っています。ベルギーにとって第二次大戦後、一度も体験したことのない困難に(私たちは)直面しています。私たちの医療体制が(隣国の惨状と比べて)飽和することなく全ての患者に必要な医療が提供できてきたのは、ひとえに市民のみなさんの献身的な努力のおかげだと思っています。それでも、老人ホームで多くの死者が出てしまったことは事実で、速やかに緊急対応を進めています。ただ、『透明性』を尊重して、一部過剰にカウントしていることも覚悟して死者数を計算しています。今後の精査で(真のコロナによる死者数が)明らかになっていくはずなので、どうか心配しすぎないでください」

まだベルギーでは降霜すらある肌寒い3~4月、肺炎などで亡くなるすべての高齢者をコロナ死に勘定すれば、驚愕の死者数もありうるかもしれない(北半球の国では寒い時期に高齢者の肺炎による死者数が多い)。それに、イタリアやフランス、オランダなどの隣国がこの頃、重篤患者をドイツに搬送して治療を受けさせてもらっていた一方で、ベルギーでは患者の治療は自国内で完結していた。首相の説明は市民をとりあえず納得させて、封鎖解除を心待ちにする市民の気持ちを少しだけ軽くした。

こうして4月15日には、5月4日からの封鎖解除に向けて、専門家チームのsciensanoや危機管理専門家グループに加え、統計学やマクロ・ミクロ経済、法律、社会など広い分野の専門家や実業家が集められた出口戦略のための専門家グループGEESが結成され、「これ以上ないほどに慎重で段階的な」解除計画を4月24日に発表することが告げられた。

ソフィー・ウィルメス首相(当時)(中央)2020年4月15日撮影
写真提供=Thomas Daems – Office of Ms. Sophie Wilmès
ソフィー・ウィルメス首相(当時)(中央)2020年4月15日撮影

園芸用品店の営業を一足早く許可

3月半ばからスタートした原則外出禁止の日々。ようやく長いトンネルの先に光が見え始めたのは4月半ばを過ぎた頃だった。

突然のコロナ危機でデビューしたウィルメス首相は、しだいにその重職が板につき始め、言動の端々に、彼女らしさがより強く見いだされるようになっていた。

例えば、正式な封鎖解除(5月4日)より一足早く、種苗や園芸用品を売る店と大工道具や材料を売る店の営業を解禁し、老人ホームや障害者施設への訪問を厳しい制限付きながら少しだけ許容すると発表した4月15日の晩。国営テレビに出演したウィルメス首相は、自分の言葉を紡いでこんな風に語った。

「社会の中で、最も弱い人々のことを考えて、例えば、高齢者、障害のある方、一人住まいで自分から出かけられない方たちに、ほんの少しでも思いをはせたのです。(中略)一人ひとりに封鎖が押し付けているつらさを、少しでも優しく、軽くできないかと」

「老人ホームや障害者施設にいる人たちだって、それまでの日常というものがあったわけでしょう。人のぬくもりを感じること、大切な家族に愛されていると実感できることが必要でしょう? 心理的な側面は、人間の基本でしょう? 私たちはみな、人間なのだから。(中略)」
「園芸店や日曜大工ショップの営業を許容したのも同じ意味合いです。みんな、自宅に閉じこもっているけれど、季節がよくなって、外で何か前向きなことをしたいなと思うのが人情ではないかしらと」

「もう封鎖は限界になっている」

4月24日、いよいよ出口戦略が発表される日がやってきた。その日は、朝9時から始まった国家安全保障会議とGEES、sciensanoの議論が延々と続き、国営テレビはこれを伝えるために昼以降の全ての番組を返上した。これで、ベルギーの人々がどれほど解放の日を待ちわびていたかがわかると思う。巣ごもり状態の市民はテレビの前で今か今かと発表を待ち続けた。

12時間以上が経った22時。侃々諤々の議論を終えて首相はカメラの前に現れた。疲労の色をのぞかせながらも、大急ぎで作成されたであろうパワーポイントのスライドを的確に用いながら、ベルギーの主要公用語であるフランス語とオランダ語でゆっくりと丁寧なプレゼンを開始。開口一番、首相はこう言った。

「もう封鎖は限界になっている、ゆっくりでも起動し始める時と決断しました」

慎重を期した解除方針

ブリュッセル旧市街には世界遺産の広場「グランプラス」がある。封鎖が1カ月半を超えたこの頃、その石畳にぺんぺん草が生えているとのニュースが伝えられ、市民のつらさはピークに達していたと思う。そして、こう続けた。

「出口戦略というのは、今まで誰も一度もやったことのない未知のことだということをわかってください。公衆衛生上の知見に基づいて、入院者数、特に集中治療室の病床占有率などの指標をきっちり透明に示しながら進めるけれど、不確実性が高く、誰も保証はできないということを覚悟してほしいのです」

段階的に本当に少しずつ解除し、状況が悪化すればいつでも後戻りがありうることを明言した。解除にあたっては「市民の健康」「社会的に脆弱な者を守ること」以外に、「教育を途絶えさせないこと」「経済を動かすこと」「全体的な社会福祉を全うすること」という3つの柱も考慮していると説明して市民の理解と協力を訴えた。

だが、その内容は解放の日を待ちわびていた市民には、予想以上に長く厳しい抑制的なものだった。記者の質問は0時を過ぎても続いた。

詳細に定められた段階的出口戦略

この日発表された段階的出口戦略とはフェーズ1のA・Bから6段階になっており、驚くほど詳細に定められていた。ごく簡単に概要を示すと次のような感じだった。封鎖中は、最寄りでの食料品の買い出し(1人、入場制限付き、30分以内)と散歩(同じ屋根の下に住むもの2人まで)以外は禁止されていたことを前提に読んでいただきたい。

フェーズ1A
公共交通機関でのマスク着用を義務化/布地・手芸店の営業を許可/2人での屋外活動を許可/新型コロナ以外の理由での医療を再開など
フェーズ1B
一般小売店の営業を再開/自宅に招いていいのはいつも同じ人物で最大4人(原則テラス等の屋外)など
フェーズ2
段階的に学校を再開/美術館などの開業を許可/結婚式・葬式の許可(最大30人)/スポーツ練習の許可(最大20人、原則屋外)など
フェーズ3
国内旅行の解禁/飲食業の営業を許可/自宅に招いていいのはいつも同じ人物で最大10人(原則テラス等の屋外)など
フェーズ4
プールやジム、屋内娯楽施設の営業を許可/イベントの制限緩和(屋内200人、屋外400人)/自宅に招いていいのはいつも同じ人物で最大15人/買い物の時間、人数の制限緩和
フェーズ5
イベントの制限緩和(屋内400人、屋外800人)

※2020年末時点ではまだフェーズ5は実現していない

首相発表では、4月半ばの時点で日に1万件だったPCR検査体制を、封鎖解除初日までに2万5000件、近い将来に4万5000件にまで拡充するとし、2億枚のマスクとフィルターを市民全員に行き渡らせること、感染クラスターを追跡する体制を整えることなどを伝えて、市民の不安をなだめようと努めた。

次の段階に入る前には、必ず詳しい状況評価と次の解除の詳細、今後の見通しを発表しながら慎重を期すことも約束された。人間というものは、週・月単位の「見通し」がもてなければ、心理的に不安になるものだと考えるからと付け加えて。

首相からの母の日のプレゼント

石橋を叩いて渡るかのような慎重な解除だったが、解除方針にはウィルメス首相のきめ細かな配慮がそこここにみられた。

栗田路子・プラド夏樹・田口里穂ほか『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)
栗田路子・プラド夏樹・田口里穂ほか『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)。本書ではベルギーのほか、英、独、仏、米、スウェーデン、ニュージーランドについても詳しく触れている

例えば、マスク着用を義務化した際は、家庭でマスクが手作りできるようにと、手芸用品店と布地店の営業を一足早く許可した。長らくお出かけができなかった市民の中でも裁縫自慢の人々はこの日、布地店や手芸店の前にうきうきと(しっかりソーシャルディスタンスをとりながら)長蛇の列を作った。

ほかにも、家庭に4人まで呼び集めてもよいとする制限緩和をほんの1日だけれど早めて、5月10日からにした。この日は母の日。ベルギー人は、家族や近しい人々との集まりをことのほか大切にする。ささやかな母の日のプレゼントは、ベルギー人の塞ぐ心を軽くした。

首相が見せた配慮の中でもう一つ印象深かったのは、最初の発表ではなかったにもかかわらず、フェーズ1Bの際に結婚や葬儀の儀式に立ち会える人数を10人まで許可したことだ。

この方針を伝えた際にその理由を記者から尋ねられると、ウィルメス首相はこう答えた。

「結婚や死別は人生であまりに大切なものであると思う。できるなら、一人で過ごしてはいけない瞬間だと信じるから」(5月13日)