被害者ではなく正義の味方でありたい

こうした先行きが不安なときに、デマやパニックは引き起こされるといわれています。日本国内でも、古くは1923年の関東大震災直後、当時の被支配民族による日本人襲撃のうわさが元になって起きた日本人による他民族への暴行・虐殺、73年のオイルショックを引き金としたトイレットペーパーの買い占め、豊川信用金庫に対する取り付け騒ぎなどがありました。信金の取り付け騒ぎでは、就職が内定した女子高生が友人と交わした「信用金庫って危なくないの?」という他愛たわいない会話が、親族などを経由して否定しきれないうわさとして拡大。実際に別の金融機関が破綻していたことも相まって、多くの人が預金を下ろしに殺到してしまったのです。

デマの拡散には、圧倒的に不条理な状況に置かれている中で、自分は不条理さの被害者ではなく、正義の味方でありたいという自己効力感が根底にあることが少なくありません。そして、人はわからない状態が長く続くことに耐えられず、わかりやすい説明に飛びつきやすいのです。事の原因や対象を明らかにすることで怖さを解消し、心の平衡を保ちたいのでしょう。

今回、感染予防策などの情報がまことしやかに流れた背景にも同じことがいえます。ただし、ワンクリックでリツイートというのは正義感を示すにはあまりにも安易すぎます。自分は良いものを広めたと考えるには、その手軽さはそぐわないと思うのです。

過剰な情報量と終わりの見えない怖さ

新型コロナ関連でこれほどまでにデマやフェイクニュース、自粛警察が幅を利かせたのには、情報量の多さが一つの原因と考えられます。1日に何回も繰り返し、それも濃密な情報にさらされることで、心が傷つき弱くなっていってしまったのです。これは日本精神衛生学会による提言でも明らかにされており、情報に触れる時間を自己制御することが有益であると示されています。

また、終わりの期限が見えないという不安も相当なものです。スペインかぜのように第2波での死亡率が上がる、突然変異を起こしてウイルスの毒性が強くなるかもしれない、などももちろん不安要素なのですが、今がまんしている成果が本当に出るのかどうかわからないということがこたえるのです。人間は自分のやったことに手応えがほしい動物なので、自分一人が感染対策を行ったところでどうなんだと思いたくなるのも、うなずける話です。