日本にいる難民に、なぜ弁護士が

なぜ、日本にいる難民に、法律家の支援が必要なのか。

そもそも「難民」とは、人種、宗教、国籍、政治的意見や特定の社会集団に属するなどの理由による迫害から、他国に逃れた人を指す。国際法上、難民を元いた国に送り返したり、追い出したりすることは禁じられている。最近では戦争や内戦から逃れて国を出た人も、難民と呼ぶようになっている。

娘たちと食事の準備をする矢上さん(中央)
娘たちと食事の準備をする矢上さん(中央)(写真=本人提供)

ただ、難民は、日本に到着してすぐに難民と認定されて滞在が認められるわけではない。母国で迫害を受けていたこと、帰国すると命の危険があることなどを、申請書類や面談を通じて出入国在留管理局の難民調査官に説明しなくてはならない。日本の難民認定要件は非常に厳しいため、弁護士のサポートなしにはなかなか認定されにくいが、自分で弁護士を依頼するだけのお金やネットワークを持たない人がほとんどだ。

着の身着のまま国を追われ、迫害の証拠となる書類はおろか、身分証明書さえ持たないこともある。「さらに、申請書類は彼ら・彼女らにとって決して記入が簡単なものではありません。ほとんどの人は日本語がわかりませんし、英語がわからない人もいる。母国で迫害された事実について、事細かに記入する必要もありますが、記憶違いをしていることもあるでしょう。その後の面談で話したことと、申請書類の内容が食い違っていれば、『信用性が低い』として難民と認定されないこともあるのです」

迫害の体験を聞き取りながら涙

そこで矢上さんら弁護士の支援が重要となる。

生い立ちや本国での迫害の内容を詳細に聞き取り、時系列を整理しながら申請を補強するための陳述書を作成したり、迫害の事実を立証するための証拠を作成していく。「英語なら本人から直接話が聞けますが、そうでなければ通訳が入るので、聞き取りにはとても時間がかかります。複雑な案件では、毎回3、4時間以上かけて10回くらい面談し、30~50ページもの書類をまとめたこともあります」

聞き取りは時間がかかるだけでなく、内容もハードだ。難民の中には、銃撃されたり家を焼かれたり、家族の身に危険が及んだ人も多い。逃げる途中で子どもが行方不明になってしまった人もいる。「そうした、本人にとって思い出すのも苦しい、むごい経験を聞き出すのは本当につらい」という。

日本に到着した難民のうち、「難民支援協会」のような支援団体につながった人は、矢上さんのような弁護士の支援を受けられる場合もある。写真は、難民支援協会スタッフのヒアリングを受ける難民の方
日本に到着した難民のうち、「難民支援協会」のような支援団体につながった人は、矢上さんのような弁護士の支援を受けられる場合もある。写真は、難民支援協会スタッフのヒアリングを受ける難民の方(写真=認定NPO法人難民支援協会提供)

矢上さんが特に印象に残っているのは、迫害されて日本に逃れてきたある女性のことだ。守秘義務があることに加え、国名や年齢などを明らかにすると、本人の身に危険が及ぶ可能性があるため詳細は伏せるが、その女性は、迫害される中で暴力を受けていた。

「彼女は被害にあった具体的な状況をどうしても夫に知られたくないと、なかなか話してくれませんでした。何度も説得し信頼関係を築いたのちに、夫には伝えないという条件でようやく話してくれました」

矢上さんが手がけた案件ではないが、別の難民の方が、日本の出入国在留管理局に難民申請のために提出した書類の束
矢上さんが手がけた案件ではないが、別の難民の方が、日本の出入国在留管理局に難民申請のために提出した書類の束(写真提供=認定NPO法人難民支援協会)

「日本で難民と認めてもらうためには、どうしても具体的な経緯を聞かなくてはならないのですが、話すことでひどい記憶を呼び起こすことになってしまいます。普段の企業法務の仕事では絶対にないことですが、面談途中であまりのひどさに思わず涙してしまったこともありました。何とか助けたいという思いや、『もしも自分の家族が同じ目にあったら』という思いが駆け巡って、話を聞いた後も重い気持ちが残りました」

本業の企業法務とはまた違った、「精神的負担が大きい仕事でもあるんです」と矢上さんは言う。しかし、この活動が重要と考えるのは「難民の方がこれによって難民認定を受け、日本で新しい人生を生きていただくためのステップに、法律家として貢献できるから。それは大きなやりがいにもなっています」と力を込める。

前述の女性は、矢上さんらのサポートのかいもあって無事難民認定が下りた。「本人も関わった私たちも泣いて喜びました」