大手法律事務所の企業法務弁護士であり三児の母でもある矢上浄子さんが、忙しい日常の合間を縫って力を入れているのが、海外で迫害を受けて日本に逃れてきた難民の法的支援だ。本業とは異なる分野で、弁護士としてのスキルや経験を使ったボランティアの「プロボノ」活動に情熱を注ぐのはなぜなのか、話を聞いた――。

仕事と子育てはチームで回す

矢上浄子さんは、日本の五大法律事務所の一角を成すアンダーソン・毛利・友常法律事務所で、独占禁止法、国際取引・契約交渉、国際訴訟などの案件に取り組む弁護士だ。2019年からは「パートナー弁護士」として、管理職としての役割も担っている。別の職場で働く弁護士の夫との間に、9歳、7歳、4歳の三人の娘がいる。

弁護士の矢上浄子さん(写真=本人提供)
弁護士の矢上浄子さん(写真=本人提供)

夫の海外単身赴任時には、育児をワンオペで抱え込み倒れてしまったこともあるという矢上さんだが、今は「子どもの迎えや家事は週3回ほどシッターさんにお願いしていますし、自身もワーキングマザーだった義理の母の助けも借り、夫も含めた4人のチームで何とか回しています」という。「勉強は見ますが、子どもたちは最終的には社会にお返しする存在ですから、自分で何でもできる女性になってほしい、と。そういう思いもあり、あまり手をかけすぎないようにしています(笑)」と話す。

そんな矢上さんが、6年ほど前から携わっているのが、日本にいる難民の難民認定申請手続きを支援するプロボノ活動だ。

日本にいる難民に、なぜ弁護士が

なぜ、日本にいる難民に、法律家の支援が必要なのか。

そもそも「難民」とは、人種、宗教、国籍、政治的意見や特定の社会集団に属するなどの理由による迫害から、他国に逃れた人を指す。国際法上、難民を元いた国に送り返したり、追い出したりすることは禁じられている。最近では戦争や内戦から逃れて国を出た人も、難民と呼ぶようになっている。

娘たちと食事の準備をする矢上さん(中央)
娘たちと食事の準備をする矢上さん(中央)(写真=本人提供)

ただ、難民は、日本に到着してすぐに難民と認定されて滞在が認められるわけではない。母国で迫害を受けていたこと、帰国すると命の危険があることなどを、申請書類や面談を通じて出入国在留管理局の難民調査官に説明しなくてはならない。日本の難民認定要件は非常に厳しいため、弁護士のサポートなしにはなかなか認定されにくいが、自分で弁護士を依頼するだけのお金やネットワークを持たない人がほとんどだ。

着の身着のまま国を追われ、迫害の証拠となる書類はおろか、身分証明書さえ持たないこともある。「さらに、申請書類は彼ら・彼女らにとって決して記入が簡単なものではありません。ほとんどの人は日本語がわかりませんし、英語がわからない人もいる。母国で迫害された事実について、事細かに記入する必要もありますが、記憶違いをしていることもあるでしょう。その後の面談で話したことと、申請書類の内容が食い違っていれば、『信用性が低い』として難民と認定されないこともあるのです」

迫害の体験を聞き取りながら涙

そこで矢上さんら弁護士の支援が重要となる。

生い立ちや本国での迫害の内容を詳細に聞き取り、時系列を整理しながら申請を補強するための陳述書を作成したり、迫害の事実を立証するための証拠を作成していく。「英語なら本人から直接話が聞けますが、そうでなければ通訳が入るので、聞き取りにはとても時間がかかります。複雑な案件では、毎回3、4時間以上かけて10回くらい面談し、30~50ページもの書類をまとめたこともあります」

聞き取りは時間がかかるだけでなく、内容もハードだ。難民の中には、銃撃されたり家を焼かれたり、家族の身に危険が及んだ人も多い。逃げる途中で子どもが行方不明になってしまった人もいる。「そうした、本人にとって思い出すのも苦しい、むごい経験を聞き出すのは本当につらい」という。

日本に到着した難民のうち、「難民支援協会」のような支援団体につながった人は、矢上さんのような弁護士の支援を受けられる場合もある。写真は、難民支援協会スタッフのヒアリングを受ける難民の方
日本に到着した難民のうち、「難民支援協会」のような支援団体につながった人は、矢上さんのような弁護士の支援を受けられる場合もある。写真は、難民支援協会スタッフのヒアリングを受ける難民の方(写真=認定NPO法人難民支援協会提供)

矢上さんが特に印象に残っているのは、迫害されて日本に逃れてきたある女性のことだ。守秘義務があることに加え、国名や年齢などを明らかにすると、本人の身に危険が及ぶ可能性があるため詳細は伏せるが、その女性は、迫害される中で暴力を受けていた。

「彼女は被害にあった具体的な状況をどうしても夫に知られたくないと、なかなか話してくれませんでした。何度も説得し信頼関係を築いたのちに、夫には伝えないという条件でようやく話してくれました」

矢上さんが手がけた案件ではないが、別の難民の方が、日本の出入国在留管理局に難民申請のために提出した書類の束
矢上さんが手がけた案件ではないが、別の難民の方が、日本の出入国在留管理局に難民申請のために提出した書類の束(写真提供=認定NPO法人難民支援協会)

「日本で難民と認めてもらうためには、どうしても具体的な経緯を聞かなくてはならないのですが、話すことでひどい記憶を呼び起こすことになってしまいます。普段の企業法務の仕事では絶対にないことですが、面談途中であまりのひどさに思わず涙してしまったこともありました。何とか助けたいという思いや、『もしも自分の家族が同じ目にあったら』という思いが駆け巡って、話を聞いた後も重い気持ちが残りました」

本業の企業法務とはまた違った、「精神的負担が大きい仕事でもあるんです」と矢上さんは言う。しかし、この活動が重要と考えるのは「難民の方がこれによって難民認定を受け、日本で新しい人生を生きていただくためのステップに、法律家として貢献できるから。それは大きなやりがいにもなっています」と力を込める。

前述の女性は、矢上さんらのサポートのかいもあって無事難民認定が下りた。「本人も関わった私たちも泣いて喜びました」

学生時代はバックパックで中国を一人旅

「大手法律事務所の国際企業法務弁護士」というと、エリート街道まっしぐらなイメージを持つが、ここに至るまでの矢上さんには紆余曲折があった。

大学時代は法学部だったが、「当時の日本の司法試験は合格率5%といった狭き門。『試験勉強よりも、先に世界が見たい』と思い、大学を卒業した年に、学生時代にバックパッカーとして一人旅をした中国の大学院に留学した。「当時はみんな欧米を向いていたけれど、『次は中国が“来る”はず』という山っ気もあった」という。

2002年の大学院卒業後、アンダーソン毛利法律事務所(当時)の北京オフィスでパラリーガルとして働き始めた。事務所の上司の勧めもあり、そこを2年で辞めて日本に帰国し、できたばかりの法科大学院に入学した。弁護士になったのは31歳なので、「決して早いスタートではないですね」と話す。

法科大学院時代に、難民支援活動に従事する弁護士の講義を聞いて関心を持ったことが直接のきっかけではあったが、「移民や難民の問題に関心を持つようになったのは、高校時代の交換留学の経験からかもしれません」という。

難民キャンプで肩を寄せ合い歩く子供たち
写真=iStock.com/cloverphoto
※写真はイメージです

高校時代、アメリカ・カリフォルニア州ナパバレーのワイナリーで働く家庭で、1年間のホームステイを経験した。「通っていた高校は、全体の3分の1くらいをメキシコ系移民が占めていました。同級生の中には、『親は不法移民だけど、自分はアメリカ生まれだから市民権を持っている』という人も少なくなかったです。収穫時期にはブドウ畑でメキシコ系移民がたくさん働いており、『母国ではない国で生活する人たち』は身近な存在でした」と振り返る。

支援する弁護士はまだまだ足りない

2019年の日本の難民申請者は1万375人で、同じ年に認定を受けた人は44人と、認定率は0.4%にとどまる。認定数が少なすぎるという国際的な批判があるほか、申請から認定までに非常に時間がかかることも問題視されていて、矢上さんが関わったケースでも「3年以上かかるのはざら」だという。

申請者の中には、実際には難民ではないが日本で働くために難民申請をしている人もいるとみられているが、本来なら一刻も早く日本で受け入れられるべき難民の認定に時間がかかっているのは、大きな問題になっている。

また、「迫害を受けて日本にたどり着きながらも、支援団体や弁護士の支援を受けることなく難民申請をして不認定となり、命の危険があるにもかかわらず本国に強制送還される例もまだ多いのです」と矢上さんは話す。「弁護士が必要な難民認定申請者はもっとたくさんいるはずですが、まだ全然足りていないんです」と力を込める。

企業法務の弁護士が、なぜ難民を支援するのか

同じ弁護士であっても、日常で関わる「企業法務」の世界と、「難民認定」の世界はまったく異なると矢上さんは言う。

「普段は、企業の方とビジネスに関する話をすることが多いのですが、難民認定の支援という、まさに人権に関わる活動をしていると、弁護士としての意義や使命を再確認させられます。この瞬間も、世界のどこかでは迫害を受けて命の危険にさらされたり、家族と引き離されたりしている人がいる。そんな世界が現実にあるなんて、普通はなかなか想像すらつきません」

法律事務所内で、プロボノのセミナーに登壇する矢上さん(正面左端)
写真=本人提供
法律事務所内で、プロボノのセミナーに登壇する矢上さん(正面左端)。矢上さんの所属事務所が手掛けた難民事案では、これまで全件で難民認定を獲得している

「難民認定を待つ人たちは、学歴が高く、本国では専門的な仕事をしていた人も多いのですが、日本ではそういった専門性を生かせずに、低賃金の仕事に就かざるを得ない人もいます。コロナ禍で働き口が見つからない人もいて、経済的にも非常に厳しい状況に置かれています。それでも『世界でこんなに平和なところがあるなんて初めて知った』と、日本での生活に安堵と喜びを感じてくれています。そうした人たちの支援にはやりがいを感じますし、弁護士という職業を選んだ自分に対する、自尊心にもつながっている気がします」

娘たちには、世界にも目を向けてほしい

今では、「職業上の専門的なスキルや経験を生かしたボランティア活動」の全般を指す「プロボノ」という言葉だが、もともとは、アメリカで弁護士が法律家としてのスキルを活用して行うボランティア活動を指していた。日本でも、いくつかの弁護士会では所属弁護士に一定時間のプロボノ活動を義務付けているが、本業の忙しさもあって、プロボノ活動に時間を割いている弁護士はそれほど多いわけではない。一部の個人弁護士や、リソースに余裕がある大手・外資系弁護士事務所、外資系企業の法務部が中心となっている。

休暇中の矢上さん家族(写真=本人提供)
休暇中の矢上さん家族(写真=本人提供)

矢上さんは、こうしたプロボノ活動を通じて「弁護士としてまだまだ果たすべきことは多く、道のりの遠さを認識します」という。「人の人生の、生きるか死ぬかといった分かれ目に立ち会うことになる。その責任と意義はとても大きいと感じています」

矢上さんは、日本における難民の状況について、できるだけ娘たちにも話すようにしているという。「娘たちはまだ小さいので、難民の方々を取り巻く状況というのは理解しきれないかもしれません。それでも、できるだけ世界に目を向けてほしいと思っています。落ち着いたら(日本にいる難民を支援しているNPOの)難民支援協会が主催している、難民の方たちを支援するイベントに一緒に行きたいなと思っています」と話している。