礼儀作法のレベルがその人の所属集団に

20世紀後半、昔からあった階級社会が1度崩壊しかけたことがある。経済優先で年収によって人々がランクづけされた「経済格差」の時代だ。日本でも“3高”がもてはやされたが、そこにマナーや品格という言葉はなかった。そして、それが行き詰まったとき、「品格の格差」が起こり始めた。

「経済が右肩上がりでなくなり、昔から連綿と続く文化の時代に戻ったわけです。そうなると、人の文化度は礼儀・マナーによって差が出るようになった。高価な持ち物で格づけされる一様性の時代に対して、持たない生き方も存在する多様化した文化の中で、礼儀作法のレベルがそれぞれの所属集団に分かれたのです」

だから今の時代、「勉強ができる=仕事ができる」とはならない。教養があって人間関係の調整がうまい人、つまりは礼節が求められる。

「ITツールを使いこなし、バリバリ仕事をしているとあたかも仕事ができる人と思われがちですが、いざ人と対面したときに血の通った対応ができなかったりする。そういうタイプの人はこれからの時代AIには勝てなくなります。AIが苦手なことは唯一、礼儀作法。例えば、自動音声で『○○の人は1を……』なんて言われ続けると誰でもムカッとくる。クレームになる。これがAIのつらいところ。礼儀作法というと感情がなく形式張ったもののように思えますが、そうではないのです」

礼儀作法の原点は相手やモノへのリスペクト

中谷さんは、「実は仕事ができる人ほど礼儀作法が危ない」と警鐘を鳴らす。本来、礼儀は人に対してのリスペクト、作法はモノに対してのリスペクトのこと。例えば、ドアをそっと閉めるのはドアというモノに対して、お茶会や高級懐石に呼ばれたときに指輪をしていかないのは食器に対してのリスペクトになる。人へのリスペクトは民族や宗教によって表現の方法が違うが、この人と一緒にいて快適だと思われることだと考えるとわかりやすい。

「仕事ができるようになればなるほど、人やモノへのリスペクトが低くなる。『仕事ができる』と『礼儀作法』が相反するものになってしまうのです。チャンスをつかみ続けたいならば、相手にとって“招きたくなる人”になることです」

特に衣食住に関することは、長年の習慣で無意識にやっている場合が多く、意識して頑張っても限界があったり、改善できなかったりする。

「会食の席などでは食事のマナー云々より、会の進行状況やその場に関わるすべての人の気持ちを察知できない時点で、もはやルール違反なのです」