後進の女性たちは何を学び取るか
私はコラムニストとして、女をテーマに、女たちに勇気と希望を持ってもらいたくて書いてきたつもりだったが、この著者と共に、なんだかすっかり心が折れてしまった。いろいろな女性有名人がマスコミであれこれ取り沙汰されるのを、「男性であったならこういう扱いはされなかっただろうに」と同情しながら、だけど基本的に応援する視線を失わぬよう努めてコラムにした。
ベッキーも安室奈美恵も渡辺直美も小池百合子も滝川クリステルも誰も彼も、私自身はその女性に積極的な興味などホントはたいして持っていなくたって、世間の女たちが話題にしたり熱狂したりするのならそこには何かしら時代の偶像としての意味があるのだと考えて、その魅力を探して掬い取った。片目をつぶって、もう片目で見る。それが人間を愛しながら、人間臭さを描くことだと思っていたから。
だが、2020年になってやっと日本初の女性総理候補とされる小池百合子が、内なる狂気を飼っているとしか思えない「政治ゴロ」の父親に振り回され、だが結局は父親と同じようにデコボコで無茶苦茶でなりふり構わぬ醜態を晒しながらなんにもない砂漠に道を拓いた数十年の歴史のウソが詳細に克明に暴かれ、「快進撃」は虚言で塗り固められたハリボテだったと知って、後進の女たちが学び取ることはなんだろう。
それは、著者が当惑し嘆いている通りに「日本ではまともな女は活躍なんてできない」、そして「女だてらに活躍なんかするもんじゃない」という悲しい結論だ。
他のどんな女性だったら、都政のトップに立てたのか
まず、“普通の”女は男性優位社会では生き残れない。そして生き残っても、人生の隅々まで世間に監視される。目立っちゃいけない、変わったことはしちゃいけない、人前になんか立つものじゃない、そんなのペイしない。無遠慮に眺め回され、ああだこうだ無責任に下品にからかわれ揶揄され消費され、ワキの甘さがあれば全部調べ上げられてボロクソに人格否定されるだけ、ってことだ。
この本を読んだ若い世代の女性たちは、間違っても女として生きる将来なんかに希望を持たないだろう。「引き受ける」人生を送る勇気を持たないだろう。
戦後初めて国政のトップに指をかけるところまでたどり着けた女は、小池百合子だった。本書が指摘する通り「名誉男性」だ。ミニスカにハイヒールで女らしさを隠しもしない美人だ。アンチが言うには嫌味ったらしい横文字と論理一貫しないくせに鮮やかな弁舌が武器だ。噂される通り、いろいろな「権力と寝た女」なのだろう。叩いても埃が出ないなんてわけもない、グレーなうさんくささを否定できない政治家だ。御年67、周りに男しかいない昭和から平成の政界を、反転して男だったならもしかしたら数々の武勇伝として英雄伝説を飾ったかもしれない手法を駆使して巧みに泳いできたのだ。
では、他のどんな公正無私な女性だったら、2016年の日本で都政のトップに立てただろう? 他のどんな「みんなで仲良しこよし」「人目を引かず万人に適度に侮られる容姿と能力」「人脈にも運にも謙虚で恵まれない」女性なら、諸手を挙げて都政のトップに歓迎されたのだろう?
築地市場の豊洲移転問題で、小池百合子の言葉にだまされたという女将さんは、本書でこう呟いて涙を浮かべる。
「女の人が嘘をつくなんて。私、思わなかった……」
“女の人”が嘘をついたのではない。“政治家”が嘘をついたのだ。そして女は神聖でも公平でもなんでもないことを、私たち女は知っているはずだ。
(文中敬称略)
写真=時事通信フォト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。