ポジティブ・プレゼンテーションしかしない

女は、自分で覚悟を決める。夫に、不安を解消してもらおうなんて、つゆほども思わない。夫に何か提案するときは、どんな些細ささいなことでもネガティブな理由は使わない。ポジティブ・プレゼンテーションしかしない。

私は、息子の保育園の遠足に、私の代わりに行ってほしかったときも、自分が行けないからとは言わなかった。「今年は、保育園の遠足に行ってみない? 保育園の遠足なんて、子どもが育っちゃったら、行ってみたいと思っても行けないのよ。彼が日ごろ、お友だちとどう接してるかもわかるしね」と、権利を譲るかたちで提案しただけだ。

彼が断ったら、切羽詰まっていることを告白したかもしれないが、うちの夫は、私に「経営者として外せない、社運を賭けた外部プレゼン」があったとしても、自分の「定例ミーティング」を平然と優先する人なので、「行かない」と言い始めたら、ほぼ百パーセント翻すことはない。

夫が断ったら、私は、会社より息子を選ぶつもりだった。その必死の覚悟が伝わったのか、若い保育士さんに囲まれてバスに乗ってみたかったのかわからないが、夫は、機嫌よく遠足に出かけてくれたので、会社は危機を免れたけれど。

母親や姑にも、基本はポジティブ・プレゼンテーションが効く。「保育園に預けるなんて、かわいそう」と言われても、ひるむことはない。「お母さん、保育園で、年齢の違う子同士が一緒にいるのは、最高の英才教育だって、黒川伊保子が言ってます。自分より運動能力が高い年上の子の動作を見て育つと、発達がいいんですって」と、明るく言ってあげればいい。

姑は、夫より腹がすわっている

姑は、味方につければ最強の女友だちである。私は、早期に職場復帰するつもりだったので、子どもが生まれて2カ月目に、夫の実家に引っ越した。身を寄せた、というのが正しい。黒川の母の翼の下に入ったのだ。「お義母さんだけが頼り」と頭を下げて。私は、何をするにも、義母の意見だけは尊重した。義母は、「現代的な子育ての方式はわからないから」と、なんでも私の意向を確かめてくれた。私の子育ては、義母との二人三脚だったので、実のところ、なにも威張れない。

義母は、当初、孫息子を保育園に入れることを拒んだ。かわいそうだと言って。しかし、息子が歩くようになったある日、「保育園を申し込んで」と言ってきたのである。近所の保育園を何度も見に行ったのだそうだ。子どもたちが園庭で遊ぶ姿を見ていて、「私じゃ、あんなに遊んであげられない。今の保育園は清潔で、楽しそう」と思ったという。

姑は敵じゃない。その懐に飛び込んでしまうというのも、一つの手だ。「お義母さん、一緒に保育園を見に行ってくれない? 私だけじゃ見落としがあるかもしれないから」と、最初から巻き込んじゃえばいい。夢と不安も、姑に聞いてもらったらいい。姑は、夫よりずっと腹がすわっているからね。

夫に、自分の不安をぶちまけるな。妻が何かを始めようと思ったら、夫は、不安の増幅器であると心得よ。

実際にことが始まったら、どうにもならなくて立ち往生している家族に知らんぷりはできない。知らんぷりを決めこむような情のない夫なら、いつか、捨ててもいい。

私は一時期、自分をシングルマザーで、夫を「なぜか子育てに協力してくれる友人」だと思って暮らしていた。そうすると、ブレずに主体的になれたから。それにシングルマザーのつもりでいると、夫はかなり協力的に見えたのだ(微笑)。協力的じゃなく、口も出さないタイプの夫なら、この妄想、悪くないかと。