病院はホテルではない

その一方で、ベッドが比較的余る地域もある。簡単にいってしまえば、人口あたりの入院ベッド数が多いのだ。たとえば、高知は人口十万人あたり二千五百三十床、鹿児島は二千八十三床と、全国平均の二倍も備える。

ある救急医がため息をつく。

「入院の適応でない患者が、日本ではたくさん入院していると思います。救急医療のベッドは急性期の治療のためのものですが、それ以外の、たとえば家族が『高齢者の一人暮らしが心配だから』という理由で入院を申し出るケースもあるんです。『ホテルじゃありませんから』と言うのですが」

筆者も取材中にそのような事態を目にした。高齢者の親を連れた娘が、夜間に救急外来を訪れた。食欲がなく、しっかり歩けないので、脳梗塞ではないか詳しく検査してほしいと訴える。熱はあったものの、ひととおりの検査で「異常なし」。帰宅させようとする医師に患者の娘が「先生、入院は……」という言葉が出たのだった。

「地方で人口あたりのベッド病床数が多いところは、一人あたりの年間の医療費も高い傾向にあります。入院していれば、当然お金がかかりますからね。かといって民間の病院がベッドを削減すれば、赤字になってしまいます。ですから、公の病院がベッドを削り、病院の規模を小さくするべきだと思います」

厚生労働省は、二〇二五年を目処に「地域包括ケアシステム」の構築を打ち出している。重度な要介護状態になっても、住み慣れた地域で最後まで暮らすことができるよう、「住まい・医療・介護・予防・生活支援」を一体的に提供しようという主旨だ。

しかし、具体的な方策については、各自治体が「地域の特性に応じて作り上げることが必要」と述べるにとどまり、実現への過程が見えてこない。言い換えると、病院から早く患者を出せということになるが、病院側、そして家族としては、出すに出せない状況である。

次の行き先を探すのは病院の仕事なのか

東京女子医科大学の矢口医師が指摘する。

「独居が増えていますから、正直厳しいと感じています。また、救急での治療を終えて地域に直接戻せたとして、そこでもし具合が悪くなったら、また急性期の治療に戻すしかないですよね。その繰り返しが起きる可能性がある。しかも、大抵は救急車によって救急医療に運びこまれてくるでしょう」

笹井恵里子『救急車が来なくなる日』(NHK出版新書)

このように「救急(医療)」と「介護」はひと続きになっているのだ。どこまでが医療で、どこからが介護になるのだろうか。

一般的に、高齢者は一度倒れると、そのあと元の一人暮らしの生活に戻れる可能性は少ないという。

「高齢者は重症化しやすいですし、回復にも時間がかかるので、病院に長期滞在になりがちです。また、その患者さんたちは、なかなかすっと退院とはなりません。それは仕方ないことなんです。高齢者なんですから」

たとえば、ある病院が人工呼吸器や常時モニターの管理が必要という重症な救急患者の治療を終えたとしよう。だが、食事も自分一人ではできないし、リハビリもしていく必要がある。そんな時に、患者にあった療養型の病院確保をどうするか。実は、これも各救急に任されている。

「大学病院は急性期の治療が終わった患者を抱えてはいけない、と国は言います。それはわかりますし、私たちも急性期の治療を終えた患者さんを出さなければ、次の救急患者を受け入れられません。でも「救急患者さんを受け入れること」と「次の行き先を探すこと」の両方を救急医や救急医療機関がやらないといけないんですか、と思います」

救急医が転院先の病院を探す事務作業に時間をとられれば、本来の業務である「救急患者を診る」時間が少なくなっていく。

二〇二五年以降は、これまで以上に医療や介護の需要が増加すると見込まれている。必要な整備を進めておかないと、気づいた時にはもう手遅れだった、という状態になりかねない。

写真=iStock.com/TkKurikawa

笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト

1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『野良猫たちの命をつなぐ 獣医モコ先生の決意』(金の星社)と『老けない最強食』(文春新書)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。 過去放送分は、番組HPより聴取可能。