教育的指導と虐待の違いは何か?

「単に教育熱心な親たちに見えるかもしれません。でもこんなこと、まるで教育的指導ではありません。子どもを励まし伸ばす『教育』とは真逆の行為です。これをなんといえばいいのだろうと考えて、私たちの間では『教育虐待』というようになったのです」

どこまでがしつけや教育的指導で、どこからが教育虐待になるのか。

「ここまではよくて、ここからはダメというような程度問題では語れません。しつけや教育的指導とは、子どもの成長を促すために子どもを励ますことです。英語でいえばエンパワーメントです。しかし虐待は人権侵害です。まるで逆です。子どもは親のペットでもロボットでもブランド品でもありません。親の満足のため、もしくは親の不満のはけ口に子どもを利用することは人権侵害です。子どもをエンパワーメントしたいなら、子どもを一人の人間として敬意を払いながら指導すべきです。子どもを自分と同じ一人の人間なんだと思うことができているかどうか。それが教育的指導と虐待の違いだと思います。同じ言葉を発していてもそこが違えば、子どもが受けとるメッセージも違います」

ついカッとなってしまうときは……

「あなたはダメな人間」「あなたなんて生まれてこなければよかったのに」「あんたなんて死んだほうがまし」などという言葉は、明らかに子どもの尊厳を否定する言葉である。「罵声を浴びせることで奮起を狙う」という理屈は、親側の理屈でしかない。「親を必要としていて抵抗のできない子どもを傷つけておいて、何が『あなたのため』でしょうか」と坪井さんは憤る。

しかし実際に子育てをしていると、ついカッとなってひどいことを言ってしまうことはある。親になったからといっていきなり聖人君子になれるわけではない。

「つい子どもを叩いてしまっても、あとから『叩かなければよかった』と思えるようなら、それは親として間違ってしまっただけ。自分の過ちを認め次は間違えないようにしようと思えるなら、虐待にはいたりません。親だっていつでも正しい対応ができるわけではありませんが、だからといってあきらめてしまうのではなく、できるだけ正しい対応ができるように心がけるべきです。親も子どもも未熟だから、少しずつ成長していけばいい」(中略)