多感な頃の感情を刺激する数々の描写
それにしても、金原ひとみはどうしてもこうも心の機微を“指摘”するのがうまいのか。ページを繰っていると多感な時期を思い出し、たびたびドキリ、しばしばギクリとさせられる。
たとえば、道ならぬ恋に浮つくシェフ蓜島の場合。閉店作業の最中に、由依から「お店が終わった後会えない?」というメールを受信した彼は、すぐに電話をかけたい感情を抑えながらやり取りを重ね、最後に「終わったら連絡して」という由依に、「わかった。仕事やる気出てきたよ」とレスをつけた。そこでメールが終わった後、胸中でこうごちるのだ。
何かもう一言くらい届くかと思ったけど、もう返信はこなかった――、と。
カップルにとってはごく日常的で他愛のないコミュニケーション。だからこそ、こんな女々しくも甘酸っぱい感傷に、誰しも心当たりがあるのではないか。
また、不倫を重ねる夫を持つ英美は、ある夜、何かを欲するように、おもむろに元彼の名前をフェイスブックで次々に検索し始める。その結果、2人は子供の誕生報告が投稿されており、1人はバツイチ子持ちの女性と結婚したとの投稿が見つかった。おそらくこれも、似たような経験をしている人は多いだろう。
英美はさらに、元彼ではないがかつて気になっていた男の名前も検索してみる。すると、久しぶりに見る顔のアイコンにドキッとしながら、トップに女性とのツーショット写真があがっているのを見て、瞬時にウインドーを閉じるのだった。そしてこんな感情をくゆらせる。
――なぜかはわからないけど、皆が結婚したり父になったりしていることに、どこかで傷ついている自分がいた。元彼たちが皆いつまでも私のことを好きでいるはずなんてないと分かっているのに、それでもどこかで、あんなに私に好きだと言った口が他の女との間に生まれた子供にキスをしたりしているのだと思うと不思議と苦しかった。
こうした登場人物たちの感情の一つひとつに、読者は共感、関心、興味を覚えるに違いない。フィクションと理解していても、そこには奇麗事など一切ない、等身大の感情が刻まれているからだ。
表現されているのは「伝わらなさ」
金原ひとみが綿矢りさと共に芥川賞を受賞したのは、はや15年前のことになる。当時、みずみずしくも斬新であったその感性が、当人の成長に合わせてさらに大きく花開いたことは、本作を読めば明らかだ。
男女の間に介在するさまざまな感情。問題にまみれた家庭の情景。そして他者に対するネガティブな感情。それらを不倫する側とされる側、双方の視点で紡いでいく迫真の表現力には、ある種のすごみすら感じられる。
著者が本作で描きたかったもののひとつは、「伝わらなさ」であるという。家族であっても夫婦であっても、まして恋人同士であればなおのこと、他人は他人なのである。
若くして評価され、本作執筆時は日本を飛び出し、パリで暮らしていたという著者の姿は、ここに登場する面々とは対極のものに思える。しかしこれもまた、「伝わらなさ」ゆえに生じる、当人と傍観者の乖離なのだろう。
6人の視点の主のうち、とりわけ誰に感情移入するかは人それぞれであるに違いない。不倫される側、俗に言う“サレ妻”、“サレ夫”の立場に共鳴することもあれば、「疑いが確信に変わった。私はこの家族を作るべきではなかった」とひらめく女の境地におののくこともあるだろう。
ただひとつ言えるのは、本作は読み手をまったくの傍観者にはさせてくれないということだ。あの時、さっそうと世に出た金原ひとみという天賦の才の、1つの到達点としてお楽しみいただきたい。