とはいえ介護の日々は先が見えないし、真っただ中にいるときは残りのわずかな時間も長く感じてしまう。でも、物事には必ず終わりがあり、耐え難い状態が永遠に続くというのはありえないことなので、いろいろ体を動かして対処していると何とかなるものです。

だからこそ自分が倒れ、先に亡くなるようなことになっては困る。そのためには自分自身が生き延びるためのわがままをうまく身につけることがコツだと思いますね。

私がそのコツを身につけたのは、50代半ばで逝った彼と過ごした日々のなかでした。例えば、彼が入院した病院の近くに爬虫類専門店があり、そこで爬虫類がもぞもぞ動いているのを見るのがすごく癒やしになるのです。特にナガクビガメ。彼には「ちょっと売店へ行ってくるね」と言って病室を抜け出し、カメを眺めてから売店へ行く。わずか数分間でも気分を変えられたのです。

仕事という逃げ場があってよかった

そうして彼を見送り、続いて父を看取った頃に思いついたのが、「起こったことはみんないい事」という“マイことわざ”でした。突然の天災などはとても無理ですが、小さなことは気分ひとつでマイナスをプラスに変えることも不可能ではありません。電車を一本逃しても、ホームでイケメンを眺められたからよかったとか(笑)。無理やりにでも、よい方向に考えていくというのは、もうクセになっています。

私は介護のストレスからうつにもなってしまいました。そうすると器いっぱいに張った水が最後の一滴であふれたときのようにパニック状態になることも多かったのですが、だんだんと自分の心の在り方を柔軟に保てるようになりました。

実は父の介護も大変でした。父は90歳になって心不全で倒れ、歩くことが難しくなった。それでも容態が安定すると退院を迫られ、リハビリの病院へ転院したものの、米国人の父は「元気なのにこんなところに入れておくのか」と英語で怒り、そのたびに「娘さん来てください」と呼ばれる。病院の後は自宅へ帰りましたが、ほどなく家族で看ることは絶対に無理とわかったのです。