ボートレース界では、実務者も選手と同様に競艇学校で1年間の研修を受け、寮生活を送る。研修ではボートやエンジンの構造を学び、実際に乗艇の練習もする。研修を受けた後、彼女が最初に務めたのは、思い出深い平和島競艇場での検査員の仕事だった。
「検査員は選手の体にけががないか、ボートとそれに取り付けるモーターに異常がないかを調べるのが主な仕事です。それからレース中にメカニカルトラブルがあったとき、原因を究明するのも大切な業務。ボートレースは、ボートとモーターと選手が三位一体となり、しっかり整って初めて成立するものです。その基本を第一に意識しながら働いてきました」
だが、選手たちにとっては見慣れない女性の検査員である。年上であるうえに屈強な彼らの中には、「おう、彼女。本当に研修を受けたの?」と比良野さんを軽くあしらう者も多かったという。
選手を指導し、ボートのコンディションをチェックする検査員は、レースを成立させる責任がある。先輩の検査員は、時に選手に厳しく接することもあった。選手には中学を卒業してすぐにボートレースの世界に入った者もいれば、70歳を過ぎても現役で走る者もいた。多様な背景を持つ相手と渡り合うには、実務者の側にもそれ相応の迫力が必要だった。
「女だからってなめられるなよ。ビシッと言ってやればいいんだ」
先輩はことあるごとにそう言ったが、まだ23歳の新人で初めての女性検査員である彼女に、先輩たちの真似はなかなか難しかった。
「選手だって、ずっと年下の小娘にワーワー言われたら、頭にくることもあるでしょう。なので、私は自分のカラーでやっていくことにしたんです」
例えば、選手が整備場で工具などを探していれば、先回りして「これを探していたんですよね」と手渡す。また、当時はスクリューの形状が鋭利だったため、流血をともなうけがも多かった。医務室では医師の補助を迅速に行うことも心がけた。そうした気遣いや現場を一つひとつ積み重ねながら、けがを押してまで出場しようとしていたり、反対に体調の不良を大げさに訴えたりする選手には、「ダメなものはダメ」と毅然(きぜん)と告げる――。
「そうやって『あ、あいつもちょっとシッカリしているな』と思ってもらう。そのうち、『彼女』が『検査員さん』に変わったんです。少しずつではあるけれど、受け入れられているんだと実感しました」
同時に実務職の先輩にも多くを学んだ。12ある最終レースを終えた後の飲み会を、彼らは「13レース」と呼ぶ。仕事を終えた後のその「13レース」で、ときどき会話に出る仕事のコツを注意深く聞いたものだ、と彼女は笑う。実務職の同期の男性と結婚したのもこの頃のことだった。