世界の主要国政府からアドバイスを求められる数少ない女性

Barbara Judge(バーバラ・ジャッジ)●米・英両国で市民権を有する商法弁護士。1980年に米国証券取引委員会の最年少委員、83年に香港でサミュエル・モンタギュー社の女性初の業務執行取締役に任命されるなど要職を歴任。2010年、大英勲章第3位(CBE)を受勲。

弁護士やバンカーをへて、現在は、日本、イギリス、アラブ首長国連邦、そしてアメリカ政府から、いろいろな問題、たとえばエネルギー戦略や金融サービスなどに関して助言を求められる立場にいます。誰かに、ちょっと助けてくれませんか、手伝ってくれませんかと言われるときは、いつも名誉なことだと感じて、一生懸命働きます。仕事が大好きです。

13歳のときは女優になりたいと思っていました。ですが母に、「あなた歌下手でしょ、演じたいなら陪審員の前で演じたら」と言われ、弁護士を目指すようになりました。専業主婦に飽き足らず、学校に通い、大学で教えるまでに上りつめた母は、常に私のロールモデルでした。

母の口癖は、女性は働くべきである。でもそれは女性が貧しいから働くのではないし、孤独であるから働くということでもない。なぜかといえば、女性は頭脳を持っているからだと。頭脳というのは使わなければいけない。頭脳イコールお金であり、お金というのは独立をもたらすものなんだ、自立をもたらすものなんだと。彼女はそう言っていました。

皆が嫌がるボスの下にあえてついて頑張る

母のアドバイスを受けて、一生懸命勉強し、有名な弁護士事務所に入りましたが、当時は、女性弁護士は事務所に1人いれば十分という時代。男性同様、事務所のパートナーを目指す私にとって厳しい道のりでしたね。皆から煙たがられるような厳しいボスの下で、認められるよう必死に専門性を磨きました。その上司の後押しでパートナーになれたときはうれしかった。31歳で結婚、33歳で長男を出産。ベビーシッターを雇って仕事に復帰しましたが、長男が5歳のとき、発育の遅れがわかったんです。サポートに徹するため仕事から離れた9カ月間は辛かった。忘れられない時間です。

子どもの問題が解決し、仕事復帰してからは、さらにいろいろな男性社会に足を踏み入れてきましたが、いつも難しかったですね。苦労はしました。

相手が女性ですとね、男性って同性の他者に対して尊敬するほどは尊敬しないんです。無意識のうちに。ですから、いまでも男性には常に言い聞かせなきゃいけません。私は同じよ、あなたと立場は同じよ、能力も同じよと。