よく勉強ができた娘と母親の確執

男女雇用均等法第1世代だったり、第二次ベビーブーム生まれの団塊ジュニアだったり、いまアラフォー以上で“よく勉強のできた”女性は、「男女の能力の差なんかない。女の子だって、勉強も仕事も頑張れば、社会に貢献できる優れた人材になれる」と教わって育った。国際機関の長になった女性や高級官僚、判事、大学教授、医師、科学者、宇宙飛行士や政治家、企業の管理職など、ごく一握りの優れた天才・秀才女性たちをロールモデルに、「世の中にはこんなに優れた女性たちがいるのよ」と見せられ、自分も優秀ならああなれると信じて育った。裏返すと、そうならないのは大人たちが自分に寄せてくれる期待に対する裏切りであり、罪だったのだ。

でも、そのマスタープランは実現可能だったのだろうか。ひょっとすると、どこか上の世代の女性が自分たちにできなかったことを若い世代へ託した夢物語、敵討ちだったのではないかと、今になって疑いの気持ちが生まれている。能力も可能性もあったのに、自分たちは社会で“立派な仕事”を持って貢献することができなかったことを悔やむ母親たちが、娘世代に希望を託したのではなかったか。だから、勉強や就職や出世の部分は完璧なレールを敷設したけれど、結婚出産の部分だけは計画がぼやけていた。あるいはごっそり欠けていた。

なぜそうなったのか。それは、母世代にとって結婚出産は既にクリアした部分で、そこは大して重要ではなかったからだ。「いい人が現れたら結婚できるといいわね」「ダンナは要らないけれど、子どもはいるといいわよ」……そんな言葉をどこかで聞いたことのある、娘世代のキャリア女性は多いだろう。青写真のそこだけがぼやけているのにはわけがある。”いわゆる幸せな結婚出産と、組織における出世との両立を、母世代のほとんど誰もやった人はいなかったから”だ。今の若い女子生徒たちが受けられる「女性のキャリア教育」のようなものは当時なく、今のアラフォー以上のキャリア女性たちは、実は人生のとても大事な部分がぼやけたまま大人になってしまった。