年初恒例の鑑賞会、そのたしなみ方とは?

【河崎環さんの回答】

そもそも赤ちゃんや家族の写真入り年賀状を、何のために出すのか? 幸せ自慢のつもりの無邪気な人もいるでしょうが、多くは「360度全方位に対応できる最も無難なコンテンツ」として惰性で続けています。毎年師走に「うわー、このクソ忙しい時期にまた年賀状の季節か。ていうかこの現代にも年賀状って必要か? ……必要なんだよなー、親戚とか。オンライン注文には写真年賀状のひな形がたくさん用意されていることだし、多分家族持ちといえばその辺が定石なんだろうし、またテキトーに見繕った家族写真でいいや(ポチッ)」って感じです、きっと。

そうでなければ、あんな微妙な赤ん坊や、コスプレさせられてねじれた作り笑いを浮かべる子供や、見せるほどでもない配偶者の写真を広く他人に送りつける意味が分かりません。あれが幸せ自慢なんだとすれば、結婚とか出産って、なかなかの脳内麻薬を出すものなんだなと笑ってやればいいのです。

また、親戚からの年賀状ならともかく、あなたが独身と分かっていて送りつけてくる同級生や同期からの写真年賀状は、「空気読めない」か「確信犯」か「ごめん何種類も作る余裕なくって……見逃してね、テヘペロ☆」のどれかです。ですから鑑賞する側としては、「年初恒例、人の“幸せ”に鬱々(うつうつ)としてみせる」も一種の38歳独身プレイ、レクリエーション的鑑賞方法ですが、こたつで日本酒でも飲みながら「アイツめ、ちょっと痛めに門松に刺さりやがれ」と念を送るのも一興です。

女性回答者プロフィール:河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。

文=本田健、河崎環 イラスト=伊野孝行