女子SPA!の記事「東村アキコ『ヒモザイル』休載に見る“炎上気にしすぎ”時代」(http://joshi-spa.jp/381892)で、少女漫画コンシェルジュの和久井香菜子さんはこう語る。「少女マンガには(略)男性に教育されて女性が磨かれていくという話は、ごまんとあります。それを男女逆転させて、『女に好かれる男になれ』とやった『ヒモザイル』は、男性のプライドを傷つけたのかも」、と。

コラムニスト・河崎環さん

「教育されて磨かれる」シチュエーションは、性別が逆であれば、過去の時代には連綿と、それこそ少女漫画にでもおとぎ話にでもいくらでもあった。そのゴールの多くは「世間的に幸せな結婚」であり、これはよく考えると夫の収入を当てにした「永久就職」だったわけだ。これはまさに、女性からすると自分よりも社会的所属が上の男性を上手に射止める「玉の輿」、つまり(女性から見て)“上方婚”がこれまでの物語として求められていたということ。女性から見て上方婚、逆に男性から見ると下方婚が、社会的に「是」だったということである。

さて、女性にとって選択肢の増えた現代、女性の“下方婚”は特定の条件下において社会的是となるか? デフォルト化できるか? 『ヒモザイル』とは、まさにその社会実験だったのだ。

あの作品が突きつけたのは「ダイバーシティ(多様性)の行き先って、つまりこうですよね」ということ。現代社会ではグローバルに欠かせない、高尚で高邁な概念として扱われる「みんなの大好きなダイバーシティ」が、高尚でも高邁でもない精神で実際に巷(ちまた)に普及していったらどうなるか。そのさまを描こうとする漫画だった。そして普及とは、言い換えれば卑近化すること、下世話になることでもある。

稼ぐ男性が仕事に邁進するために専業主婦が家事育児を引き受ける構図があったように、稼ぐ女性が仕事に邁進するために専業主夫が家事育児を引き受ける構図がある。まだまだ数が少ないために、専業主夫はメディアでは特別な美談として扱われがちだが、人間はいろいろで当たり前。美談じゃない専業主夫が大っぴらに出てきて初めて、本当にその構図が普及した、広まったと言える。多様性のある社会では、さまざまなニーズや価値観、人生が尊重される。家庭を持たずにプロフェッショナルとして活躍する女性や男性の生き方が尊重されるように、専業主婦/主夫も選択肢の一つとして当然尊重されるべきで、どちらかを否定して他方を推進しようとするような二項対立的な方法論は、いい加減に陳腐化している。

また、アラサー女性が「家事・育児ができる夫なら結婚してもいい」と言い放つことの意味も重要だ。仕事がデキる人の多くが、仕事へのコミットメントが真剣になればなるほど、仕事量が増え、拘束時間が長くなり、男であろうが女であろうが家庭に割ける時間は当然減る。ワーキングマザーの間では、ワークライフバランスの天秤の重さに耐えかねて「私にも専業主婦がいればいいのに」「嫁が欲しい」と自嘲的に皮肉を言うのはよく見かける光景である。「優れている」ことと「稼ぐ」こと、そして「職場に拘束される」ことが同義にならざるを得ないような就労スタイルが一般的な現代日本社会では、男も女も誰もが自分のために家事育児をしてくれる「専業主フ」の役割を他の誰かに求めるという、社会挙げての盛大な皮肉が待ち受けている。ワークライフバランスの議論で就労スタイルの見直しが叫ばれる理由である。

本当に「多様性のある社会」の下には、どんなモーレツ「社畜」も、テキトーな従業員も、主夫も主婦も、それぞれが選択した道であれば尊重され、幸せであっていい。そういう、お互いの尊重と合意が前提となった社会学的実験の行く末を、私は見たかった。単に皮肉で面白おかしければいいというのではない、きちんと計算された含意表現が笑いとともにビシバシと弾ける、東村アキコさんならではの『ヒモザイル』がいつか再開するのを、ファンとして首を長くして待っている。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。