アルバイトと間違われたことも

この時期に「女性初」の部長職となったのは、ようやく社内にもそのタイミングが来たということなのだと捉えています。

というのも私が入社した平成5年は、女性総合職の採用が始まって3期目でした。私の代は4人で、1つ前は6人、最初が8人。その後は景気の影響でゼロ採用が続いたんです。その頃に採用された女性の総合職の社員が、社内で初めて管理職から部長クラスになる年齢になってきたんですね。

私が不動産業界で働きたいと思ったのは、地元の浦和市(現・さいたま市)から都心の大学の法学部に通っていたときのことでした。当時は沿線の駅の再開発が進んでいた時期。郊外の広い土地を開発するのではなく、すでに出来上がっている都市の装いを新たにする仕事というのは、なんだか面白そうだなって思ったんです。同級生たちの多くは銀行や商社の一般職を選んでいましたが、あえて女性の少ない職場で頑張ってみたいという思いもあり、ちょうど募集のあった野村不動産を受けたんですね。

最初に配属されたのは分譲マンションの販売営業の部署。以来、6年間にわたって住宅の営業を続けることになりました。

何しろ女性総合職の採用が始まったばかりですから、当然、職場はどこに行っても男性ばかりです。でも、この会社には当時から男女の区別のない雰囲気があって、居心地がとてもよかったんですよ。配属の初日から「道路許可申請をとってこい」と上席に指示され、「分からなかったら自分で調べろ」といった社風。電話や訪問営業もすれば、着ぐるみを着て商店街を練り歩いたこともありました。その全てが新鮮でおもしろかったんです。

物件によっては5000万円以上するマンションや戸建ての販売担当ですから、お客様が大会社の重役だったりすることもあります。そんなときも先輩をあてがわれることなく、最後まで1人で担当させてもらえることにも、強いやりがいを感じましたね。

ただ、一方で資金の相談から最後の契約まで女性が担当することはまだ珍しかったので、お客様からはモデルルームを案内するアルバイトだとよく思われていました。なので、名刺に「宅建主任者」と記入するなどの工夫をしたこともありました。