芥川が宇野をモデルに書いた短編?

『私の文学的回想記』では、東光を「絶世の美少年」と呼び、「恋人同士と言ふほどの、さし迫った間柄ではなかった」と書く。二人は「本郷から小石川、田端にかけた夕暮の道を散歩しました」と宇野は記し、「ただ散歩して、氷屋で金時を食べる。それだけの間柄で」と振り返る。樗陰のあだ名と同じ名の氷である。田端は、芥川が大正3年(1914年)から暮らした町である。あるとき宇野は、八百屋の店先に「一束二銭と書いた葱の束が出ている」のを見つけて駆け寄り、「これを下さい」と言って買った。

芥川の「葱」は大正9年(1920年)1月の『新小説』に載った。ヒロインはカッフェで働く“お君さん”である。

神田神保町辺へんのあるカッフェに、お君きみさんと云う女給仕がいる。年は十五とか十六とか云うが、見た所はもっと大人らしい。何しろ色が白くって、眼が涼しいから、鼻の先が少し上を向いていても、とにかく一通りの美人である。それが髪をまん中から割って、忘れな草の簪かんざしをさして、白いエプロンをかけて、自働ピアノの前に立っている所は、とんと竹久夢二君の画中の人物が抜け出したようだ。
芥川龍之介『葱』(青空文庫)

芥川が東光とのエピソードを聞いたか

宇野は『私の文学的回想記』で「細かい内容は忘れましたが」と断ったうえで、「(デートで男と歩いている最中)ふいに女が、道端の八百屋の店さきに駆け寄って」葱を買い、「男は興醒めしました」と筋を書く。

お君さんは思わずその八百屋の前へ足を止めた。それから呆気あっけにとられている田中君を一人後に残して、鮮やかな瓦斯ガスの光を浴びた青物の中へ足を入れた。しかもついにはその華奢きゃしゃな指を伸べて、一束四銭の札が立っている葱の山を指さすと、「さすらい」の歌でもうたうような声で、
「あれを二束ふたたば下さいな。」と云った。
芥川龍之介『葱』(青空文庫)

『生きて行く私』では「たぶん、これは、東光が芥川に、私のあのとき買った葱の話をして、その話が、この短篇になったものかと思われた」と推測し、『私の文学的回想記』では「芥川が聞いて、小説にしたのだと言ふことですが」と伝聞の形になる。そんなとき走って葱を買いに行きそうな自分を、宇野は「を(お)かしく、またちょっぴり可哀さうにも思った」と書いた。ただ、これらはいずれも宇野の側の証言であり、芥川の側から確かめられたわけではない。

左から菊池寛、芥川龍之介、武藤長三、永見徳太郎
左から菊池寛、芥川龍之介、武藤長三、永見徳太郎。長崎にて、1919年5月撮影(写真=長崎大学附属図書館/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)