千代と5人の弟妹は父から解放された

宇野千代『生きて行く私』(KADOKAWA)
宇野千代『生きて行く私』(KADOKAWA)

「ありゃ、こいつらはくちばしをくっつけとるでよ」。一羽のカナリヤが口づけしているようなのを見て、子供の一人が言った。ふいに、あは、あは、と低い笑い声を立てた。この家の中に笑い声がする。思いもかけぬことであったが、誰もそれをとがめるものがないのを知ると、今度は大声を上げて、あはははは、あはははは、と続けて笑い転げるのであった。

しかし、そのことがあってからも、すぐにはこの家の習慣は変わらなかった。沖ノ町の方から、「東西、東西」と言うでこ廻しの太鼓の音が聞こえて来ても、子供たちは誰も往還へ駆け出すものはいなかった。以前そうであったように、よその子供たちも外からうちの子供に声を掛けようとはしなかった。それはほんの十日ほどの前の習慣と同じことであった。「うちじゃあ、見には行かんのじゃ」。子供たちは顔を見合わせてそう言っていたのに、ただ一人、長男の薫だけが、或る日、下駄をつっかけて、いきなり表へ駆け出して行ったのであった。

宇野 千代(うの・ちよ)
小説家・編集者・デザイナー

1897(明治30)年、山口県岩国市生まれ。岩国高等女学校卒業。1921(大正10)年、『時事新報』の懸賞小説で「脱脂の顔」が1等に入選。小説を発表しはじめ、1930(昭和5)年、『罌粟はなぜ紅い』を中央公論社より刊行。1935(昭和10)年に『色ざんげ』を刊行し、1936(昭和11)年、雑誌『スタイル』を創刊。1957(昭和32)年、60歳のときに発表した『おはん』で第10回野間文芸賞を受賞。1983(昭和58)年、86歳で『生きて行く私』を刊行。100万部を超えるベストセラーになる。1996(平成8)年、急性肺炎のため死去。享年98。