実家に戻ると、暴君の父が急変

錦帯橋を渡らないで、私はどうする気であろう。「お母」と低い声で呼んで、私はうちの台所へ廻った。「やれ、千代さんかいの」と答えた母の声を、私はどう言う気で聞いたか。父は時計の間で寝ていた。「ああた、千代さんがおいでましたでよ」。父の声は聞こえなかった。父は私が鉄砲小路の家へ行ってから、ずっと寝ていたと言う。幾度も血を吐いたと言う。

「お父さま」と私は声をかけた。その顔はこの十日の間に、まるで変わっていた。眼窩がんかは落ち窪み、骸骨がいこつのようであった。「足を撫なでてくれい」と言った。鉄砲小路からなぜ戻ったかとも、早く往ね、とも言わなかった。そうだ。父が病気なのだ。私はこのまま、この家にいても好いのだと、私はそのときそう思った。父がこんなに病み衰えているのを見て、それを悲しむより、もう、あの、鉄砲小路の家へ帰らなくても好よいのだと言うことが、何とも嬉しかったのを私は忘れない。

岩国市の宇野千代生家
写真=Photolibrary/ロックカントリー
岩国市の宇野千代生家

「足を撫でてくれい」と言った父が死去

翌日、私はこの父のために、阿品あじなと言うところにあるお大師さまにお詣まいりした。阿品までは三里(約十二キロメートル)の道程みちのりがある。阿品の大根と言って、漬物にする大根の産地として名高いところであるが、いまでも田舎に帰って、この大根を見ると、あの昔、父のためにお大師さまへお詣りしたときのことを、私は思い出すのであった。

父が死んだのは、あけの年の二月の始めであった。三日前に大雪が降った。この地方では雪が降るのは珍しかったが、それも、こんな大雪は見たことがない、と言うことであった。

雪の積もった家
写真=iStock.com/CHENG FENG CHIANG
※写真はイメージです

大雪の日、父が包丁を振り回した

この大雪が、死に瀕している父の脳裡に、何を考え出させたのであろう。誰もそばにいなかったほんのちょっとの隙に、父は台所にあった出刃庖丁を手に持って、往還さきににじり出たのであった。「寄るな、寄って怪我けがするな、寄るとどいつもぶった切るぞう」と言って、庖丁を振り廻まわした。あの、病みほうけた父に、どうしてこれほど力があったのか。ぎらぎらした日をうけて、庖丁が光った。見ると、雪の上に、父の裾から汚物が流れているではないか。