実家に戻ると、暴君の父が急変
錦帯橋を渡らないで、私はどうする気であろう。「お母」と低い声で呼んで、私はうちの台所へ廻った。「やれ、千代さんかいの」と答えた母の声を、私はどう言う気で聞いたか。父は時計の間で寝ていた。「ああた、千代さんがおいでましたでよ」。父の声は聞こえなかった。父は私が鉄砲小路の家へ行ってから、ずっと寝ていたと言う。幾度も血を吐いたと言う。
「お父さま」と私は声をかけた。その顔はこの十日の間に、まるで変わっていた。眼窩は落ち窪み、骸骨のようであった。「足を撫でてくれい」と言った。鉄砲小路からなぜ戻ったかとも、早く往ね、とも言わなかった。そうだ。父が病気なのだ。私はこのまま、この家にいても好いのだと、私はそのときそう思った。父がこんなに病み衰えているのを見て、それを悲しむより、もう、あの、鉄砲小路の家へ帰らなくても好いのだと言うことが、何とも嬉しかったのを私は忘れない。
「足を撫でてくれい」と言った父が死去
翌日、私はこの父のために、阿品と言うところにあるお大師さまにお詣りした。阿品までは三里(約十二キロメートル)の道程がある。阿品の大根と言って、漬物にする大根の産地として名高いところであるが、いまでも田舎に帰って、この大根を見ると、あの昔、父のためにお大師さまへお詣りしたときのことを、私は思い出すのであった。
父が死んだのは、あけの年の二月の始めであった。三日前に大雪が降った。この地方では雪が降るのは珍しかったが、それも、こんな大雪は見たことがない、と言うことであった。
大雪の日、父が包丁を振り回した
この大雪が、死に瀕している父の脳裡に、何を考え出させたのであろう。誰もそばにいなかったほんのちょっとの隙に、父は台所にあった出刃庖丁を手に持って、往還さきににじり出たのであった。「寄るな、寄って怪我するな、寄るとどいつもぶった切るぞう」と言って、庖丁を振り廻した。あの、病みほうけた父に、どうしてこれほど力があったのか。ぎらぎらした日をうけて、庖丁が光った。見ると、雪の上に、父の裾から汚物が流れているではないか。