「誰か助けてください!」と叫んだ母

「やれ、誰方どなたか助けてつかあされえ」。魂切たまぎるような声で叫ぶ母の声とともに、通りかかった沖ノ町の油屋の男衆が、父の体をひっ担いで、家の中へ入れてくれた。「お父さま、お父さま」と泣き叫んで、私も一緒に家の中へ這入ったが、このとき、もう、だらりと両手を下げた父の姿は、生きているものとは思えなかった。

雪とは不思議なものである。父の死んだあと、いまになると最早もはや七十年もの昔のことであるが、雪と言う不思議なもののために、あの光景の傷ましさは凡すべて消えて、何か、絵に描いたもののように、私の脳裡に残っているのは、あの瞬間の父は、こうも思っていたのではなかったかと言う、私自身の思いであった。私は父に代わって、あの瞬間の父を語ってやりたいのである。これは決して、自分の父に対する身びいきではなく、父そのもののあの瞬間の叫びだと言う気がした。

78歳のときの宇野千代
写真=共同通信社
78歳のときの宇野千代、1975(昭和50)年10月23日撮影

父が刃物で“本当に切りたかったもの”

父はあの瞬間に、あの刃物で自分の体を傷つけたかったのか。あのときの言葉通りに、寄って来る人をぶった切りたかったのか、いや、いや、そうではない。あの死の直前の狂気の瞬間に、父はこう言いたかったのではなかったかと、いま、八十四歳になった私は、まるでこの耳で聞いたことのように、父の胸の中が、はっきりと分かるような気がするのであった。「俺はいま死ぬ。この放蕩無頼ほうとうぶらいの一生を、いま、この瞬間に、出来ることなら始めからやり直したい。人の世に定められた真っとうな生活を、もし出来ることなら、始めから踏み直したい」と絶叫しているのではなかったかと言うことが、はっきりと分かるような気がするのであった。

父が死んで、時計の間の父の寝床は片付けられた。父がいない。私も子供たちも、なかなかこのことが呑み込めなかった。カナリヤの鳴く声がした。「ひずりをとって来い」と命令する父の声が、いまにも聞こえて来るような気がした。ひずりとははこべのことで、小鳥の喜んで食べる、道端の草であった。カナリヤは貧しいこの家の暮らしの足し前になるもので、卵から孵化した雛の中に、よい種類のカナリヤがいるかいないか、父はよく知っていたが、母も子供たちも知らない。見よう見真似で世話をし、水浴びをさせてやるのが、せい一ぱいであった。

カナリヤ
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