朝ドラでは国仲涼子演じる継母の涙

この家に、もう一人の大人がいた。若い継母である。継母にはやがて5人の実子が生まれたが、継子の千代が軽んじられることはなかった。むしろ逆で、いただき物のおはぎを弟妹たちが食べたがっても継母は言った。

「まアお待ちい。姉さまがお戻りてから分けて上げるけえ」

千代のほうも、弟妹をよく世話した。後年の回想には、「私の小さい背中は、おしっこの乾く間がなかった」とある。

宇野千代生家(山口県岩国市)
宇野千代生家(山口県岩国市)(写真=Heartoftheworld/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

ただ、若い継母は夜に泣くことがあり、一度は実家へ逃げ帰っている。泣いて彼女を追う千代を、当時家にいた女中の一人が背負い、継母の実家まで連れて行った。彼女はのちに、千代にこう語っている。

「あのとき千代さんが、わしを追うておいでんかったら、わしはこの家には戻らんかったかも知れんでよ」

継母にも、逃げたいほどの苦しさと、戻るか戻らないかの選択があった。

やがて病床の父は、女学校に通っていた千代と、あの夕暮れの相手である従兄との結婚を決める。縁組みは、暗くなるまで男と歩いたことへの罰であるかのように言い渡された。行けと命じたのも、罰を科すのも父だった。それでも千代は、「私は何の抵抗もなく、ただ『はい』と答えただけであった」と振り返っている。嫁入りの支度の際、髪を結ってくれる継母の目に、鏡越しに涙が光った。

たった10日で終わった初婚

「私は手にほんの小さな荷物を持っていたが、その中には、着替えの着物と学校道具が入っているだけであった」

後年、「恋多き女」と呼ばれる人の最初の結婚は、自分で選んだものではなかったのだ。荷物に学校道具が入ったままの、実感の乏しいものだった。

嫁いで10日ほどしたある日の午後、千代は学校の帰りに、錦帯橋を渡らなかった。その橋を渡れば、嫁ぎ先の鉄砲小路に着く。足は川沿いに、川西の実家へ向かっていた。父は病み衰え、幾度も血を吐いていた。娘に足を撫でるよう頼んだが、なぜ鉄砲小路から戻ったのかと問うことも、早く帰れと命じることもなかった。このまま、この家にいてもよいのだ。そのときの気持ちを、自伝は隠さず書き残している。

錦川に架橋された5連の木造アーチが美しい錦帯橋
撮影=プレジデントオンライン編集部
錦川に架橋された5連の木造アーチが美しい錦帯橋

「父がこんなに病み衰えているのを見て、それを悲しむより、もう、あの、鉄砲小路の家へ帰らなくても好いのだと言うことが、何とも嬉しかったのを私は忘れない」

その千代が、翌日には、三里、約12キロ離れた阿品のお大師様へ、父のために参っている。結婚から逃れたいこと、父を恐れること、父の快復を祈ること。少女の中で、三つの感情が同居していた。

千代が鉄砲小路の家で暮らしたのは、ほんの10日ほどだった。夫は千代を好まず、夜ごと外泊を重ねた。千代は夫の日記を盗み見て、自分が嫌われていることを知ったという。父の看病を口実に、千代はそのまま実家に留まり、以後は川西の家で継母や弟妹と暮らして、女学校へ通い続けた。