公平を揺らす小さな刺激

別の教員は苦笑した。

「入試って、もう何が引っかかるかわからないですね」

E先生は、その言葉に強く同意しながらも、すぐには口にしなかった。何が引っかかるかわからない――本当にその通りだった。

試験監督の目線。廊下を歩く靴音。教室の時計の位置。ストーブの向き。机の微妙ながたつき。試験前の説明の間の取り方。そうした一つひとつが、あとから「うちの子には不利だった」と意味づけられることがある。

もちろん、明らかな不備や不公平はあってはならない。改善すべきことは改善しなければならない。だが、どれほど整えても、受験という極度に張りつめた場では、ある家庭にとっては“刺激”に見えてしまうことがあるのだった。

数日後、E先生は例の保護者に折り返しの電話を入れた。

「先日はご連絡ありがとうございました。当日の対応について、担当教員や周囲の職員にも確認をいたしました」

相手はすぐに言った。

「どうでしたか」
「確認した限りでは、特定の受験生に対して威圧的な声かけをした事実はなく、一般的な挨拶の範囲であったと認識しております」

沈黙があった。

二択に持ち込ませない受け止め方

そのあと、保護者はやや強い口調で言った。

書影
西岡壱誠『カスハラ化する保護者たち』(星海社新書)

「でも、うちの子は傷ついたんです」

E先生は静かに返した。

「はい。その点については、そう感じられたこと自体を軽く扱うつもりはありません」
「じゃあ学校に非があるってことですか」

この問いは、最近よくある形だった。白か黒か、認めるのか認めないのか、謝るのか謝らないのか。その二択に持ち込まれると、話は極端になりやすい。

E先生は慎重に言った。

「学校としては、当日の運営に著しい不適切さがあったとは考えておりません。ただ一方で、受験生が非常に緊張した状態にあることは事実ですので、今後の声かけのあり方については、より慎重に検討してまいります」

相手は完全には納得していないようだったが、それ以上大きくは荒れなかった。最後に、「とにかく、来年からは気をつけてください」と言って電話は終わった。

受話器を置いたあと、E先生はしばらく窓の外を見ていた。夕方の校庭では、部活動の生徒が走っていた。春が近いのに、風はまだ冷たかった。