「お母さんには、知られたくなかった」

女性は法廷で、こう述べた。

「とにかく、未婚で妊娠して恥ずかしい。お母さんだけには、知られたくなかった。迷惑をかけたくなかったから」

「いつの時代にもどこの国・地域にも予期しない妊娠に苦悩する女性はいる、いたと思う」と萬屋さんは言う。萬屋さんが出会った予期しない妊娠をした女性は一様に、「妊娠を誰にも知られたくない」と切望した。よくよく話を聞くと、その知られたくないという最も大きな存在は「親」だった。萬屋さんはここで「親に迷惑をかけたくない、親にだけは知られたくない」という子どもの悲痛な気持ちを心底思い知った。

母親は仕事の関係上、娘とはすれ違いの生活で、妊娠に気づくことはなかった。裁判官は、母親にこう聞いた。

「娘さんに打ち明けられたら、どうしましたか?」

母親はきっぱりと言い切った。

「私も一人で子どもを育ててきましたから、娘の子どもを一緒に育てたと思います」

萬屋さんはこの母と娘の姿を目の当たりにして、こう思わずにはいられなかった。

「親と子ども、お互いに思いやりながらここまで気持ちがかけ離れている、こんなにもずれてしまうんだなーって」

もっと早く、病院に行っていたら赤ちゃんは無事だったはず。残念でならなかった。出産予定日は6月3日、その前日の出来事だったのだ。

母親と一つ屋根の下に暮らしながら、どうしても妊娠を告げることができなかったという事実。娘にとって妊娠期間は、どれほどの苦しみの中にいたのだろう。事実を直視できず、先延ばしにするしかすべはなかったのか。

「女性のみが逮捕され、裁かれる」

予期しない妊娠をした女性がいかに孤独で、絶望的な状況で臨月を迎えていることか。そのことを、改めて思わずにはいられない。

「妊娠SOS」など、望まない妊娠や赤ちゃんを育てられない悩みなどを相談できる窓口が全国に作られてはいるが、どこにも繋がることがなく、一人で出産を迎える女性がいまだ、後を絶たない。

熊本市の慈恵病院に、「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」ができたのが、2007年。ようやく今年、2例目となる「ベビーバスケット」が東京都の賛育会病院に作られた。育てられない赤ちゃんを匿名で預けることができる場所の設置でさえ、これほど遅々とした歩みなのだ。

かつて、私は慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」を取材したことがあった。当時、全国に1カ所しかなく、関東や東北など遠方からも新生児を抱えた母親たちは、熊本を目指してやってきた。熊本駅からだって不便な場所にあるというのに、産後の身体を引きずっても、せめて赤ちゃんの命を繋ぐためにと、母親たちは「ゆりかご」を目指してやってきたのだ。

「1973年に菊田医師が赤ちゃん斡旋を公表し、1982年に矢満田さんが『愛知方式』を始め、1988年に特別養子縁組制度ができ、2007年に慈恵病院の赤ちゃんポスト、そして今年になって、2例目の赤ちゃんポスト。予期しない妊娠をした女性、生まれた赤ちゃんへの救済って、こんなに遅々とした歩みなんです。ここにつながらず、孤立したまま赤ちゃんが生まれそれでも助けを求めず死なせてしまう。明るみになってたいていは、女性のみが逮捕される。そして裁判になったら、女性のみが裁かれる」と萬屋さんはため息をつく。